2019年10月16日 (水)

頼朝の愛した新居町(13)紀伊国屋資料館 その壱

次は、紀伊国屋資料館を訪ねました。

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紀伊国屋は新居宿にあった紀州藩の御用宿です。

江戸時代、新居宿内の東海道沿いには20数件の旅籠が軒を連ねました。

紀伊国屋の創業は、主人が紀州の出身で、江戸初期に新居に移り住み茶屋を営んだのが始まりといわれます。

江戸時代中期の元禄16年(1703)には徳川御三家紀州藩の御用宿となっており、その後「紀伊国屋」の屋号を掲げ、昭和戦後に廃業するまで約250年、旅館業を営みました。

建物は明治初めの再建ですが、随所に江戸期の建築様式を色濃く残し、平成13年(2001)に解体修理を行い、当時の風情を体感できる施設として公開しています。 (市指定有形文化財) 湖西市観光振興協議会HP参照

 

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次の間から上の間へ

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上の間

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最も奥に位置する奥座敷は、大名など身分の高い人のために使われました。

奥座敷

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部屋からは日本庭園が見られます。

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2019年10月 6日 (日)

頼朝の愛した新居町(12)小松楼 その弐

小松楼の2階は、座敷となっており、間取りやべんがら色の壁など当時の面影を残しています。

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芸者置屋の後は、間貸しをしたり、家族が暮らしていたため、明治から平成までの少しずつの増改築の跡が見られる建物となっています。

 

昔のヤマハオルガン

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昔のミシンもありました。

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小松楼には芸者がお稽古に使った本や、三味線太鼓などの楽器、櫛や黛などの化粧道具が残っています。

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当時の芸者たちの写真も飾られています。

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皆さん、お綺麗ですね!

 

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2019年9月23日 (月)

頼朝の愛した新居町(11)小松楼 その壱

元は、芸者置屋だった小松楼

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建物は明治末期以前のものを現在の地へ移築し、その後数回の増改築を繰り返し、平成22年9月1日から小松楼まちづくり交流館としてリニューアルオープンしました。

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新居関所は、明治に入り関所としての機能が失われた後、小学校や役場として使われ、周辺は警察署・郵便局などが置かれる中枢官庁街となりました。一方、一歩南側に入った俵町より船町界隈は、明治末期~昭和初期には歓楽街として栄えました。
最盛期には芸者置屋が11軒、カフェ・バーなどもあり、新居だけで50人から80人の芸者が居ました。周辺は養鰻、製糸業なども盛んで、漁師町であったため漁師らも利用したと言われています。
小松楼は当時最も栄えた置屋のひとつで、新居町出身の松井米吉氏が浜松で新聞店を営んだ後、大正初め頃置屋兼小料理屋として開業しました。

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1階は明治の終わりごろ、旅籠紀伊国屋のすぐ南側にあった平屋建ての建物を現在の地へ移築されました。

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