後白河天皇ゆかりの今熊野観音寺

泉湧寺の塔頭の一つに今熊野観音寺があります。
Img_3802 Img_3804_3
 
本尊は十一面観音(秘仏)、西国三十三所第十五番札所。
Img_3808
 
大同年間(806年~810年)、熊野権現のお告げを受けた空海がお堂を建てたのが始まりで、その後、藤原緒嗣が伽藍を造営したと伝えられています。
本堂                  大師堂
Img_3817 Img_3819
 
熊野権現を篤く信仰していた後白河天皇が今熊野の地に熊野那智権現を勧請したので新那智山とも呼ばれています。
 
頭痛持ちで苦しんでいた後白河天皇の枕元に観音様が現れて頭痛が治ったという話が伝えられていて、頭痛封じ、ボケ封じ、知恵授けのご利益で名高いお寺です。
 
Img_3825 Img_3813
 
また紅葉の名所としても知られています。
Img_3801 Img_3811 Img_3812 Img_3826

応援のポチッのご協力お願いします。wink

 

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

 


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (2)
|

新年のご挨拶

32018inu23
 
昨年も当ブログへのコメント&応援ありがとうございました。
 
今年もよろしくお願いします。
  

応援のポチッのご協力お願いします。wink

 

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

 


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (0)
|

滝口寺(2)横笛高野山へ

次に横笛が訪ねて来たら心が動いてしまうかもしれないと思った入道は、嵯峨 から高野山へと移って行きます。
 
ある日、横笛は入道が高野山にいることを知ります。想いを捨てきれない横笛は、女人禁制の高野山にに一番近い天野の里へ移ります。しばらくして、入道もまたある僧から天野の里の横笛の話を聞き、彼女に歌を送ります。
 
そるまでは 恨みしかど梓弓 真の道に入るぞうれしき
 
それに対して、横笛は
 
そるとても 何か恨まん梓弓 引き止むべき心ならねば
と返しました。
 
入道を想う横笛は、次第に病に侵されていきます。
 
入道は、横笛にまた歌を送り、
 
高野山 名をだしに知らで 憂きをよそなる 我身なりせば(入道)
 
横笛はそれに答えます。
 
やよや君 死すれば登る高野山 恋も菩提の種とこそなれ(横笛)
 
病が重くなった横笛は、生涯入道のことを想いながら、わずか19歳でこの世を去りました。天野の里の人々は、彼女を弔うために、庵のそばに塚を作りました。(横笛のお墓は、和歌山県かつらぎ町天野にあります。)
 
その後、入道は高野山・大円院の8代住職となり、阿浄と称しました。
ある日、入道は、大円院の庭の梅の木に鶯がとまっているのに気がつきます。阿浄を見つめるようにさえずり、舞い上がった鶯は、急に弱々しくなり、井戸の中へと落ちていきました。阿浄は思わず「横笛」と叫び、井戸へ駆け寄ります。その鶯の姿が、入道には横笛に見えたのでした。
阿浄はその鶯の亡骸を胎内に納めて、阿弥陀如来像を彫ります。この像は、鶯阿弥陀如来像として大円院の本尊となり、梅の木を鶯梅(おうばい)、井戸を鶯井(うぐいすい)と呼んで、大切にしているそうです。
高野山の記事はコチラをご覧下さい。→高野山を訪ねて
 
滝口寺のお堂には、入道と横笛の木像が安置されています。
この世では結ばれない二人でしたが、心は永遠に結ばれているのかもしれません。
横笛の死については、他の説もあります。「源平盛衰記」では、17歳の横笛は嵯峨野の大堰川に身を投げます。そのことを知った入道は大堰川に駆けつけます。彼女の遺体を火葬し、彼女の骨を自ら首にかけて、寺を供養して歩き、高野山の奥の院に卒塔婆を立てて、弔ったといわれています。
現在滝口寺の本堂は修復中です。
Img_3356_2 Img_3354_2
Img_3348_2 Img_3355_2
Img_3358_2

応援のポチッのご協力お願いします。wink

 

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

 


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (2)
|

«滝口寺(1)滝口入道と横笛