2023年5月28日 (日)

源頼朝ゆかりの滝山寺(5)宝物館

前回、見学できなかった滝山寺宝物館にやっと入れました!

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そもそもこの滝山寺に行ったのは、宝物殿に安置されている寺宝の聖観音・梵天・帝釈天三尊像像を見たかったから。

これらの像は、鎌倉時代の運慶湛慶父子の作として、昭和56年に国の重要文化財に指定されました。

像を作らせたのは、源頼朝の従兄弟にあたる当山住職・寛伝

頼朝の追善供養のために境内に惣持禅院を建立し、その本尊と脇侍として祀られていたといいます。

中でも、聖観音は、頼朝と等身大で作られ、その胎内には、頼朝の遺髪、歯を収めたといい、X線写真にはその映像が収められているといます。

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(画像:滝山寺リーフレットより)

 

以前、TV番組でもその撮影風景が取り上げられていました。


Wikipediaによると、

「木造観音菩薩立像及び梵天・帝釈天立像

像高は観音像174.4cm、梵天像106.5cm、帝釈天像104.9cm。

観音像は胸前に両手で蓮茎を捧持する。

梵天像は四面四臂像。

帝釈天像は右手に独鈷杵(とっこしょ)を持つ。

帝釈天像は金色で、観音像と梵天像は肌色である。像の脇侍に梵天・帝釈天を配するのは、宮中清涼殿に安置されていた「二間観音」と同様の構成である。

これらの像は、寺の縁起によれば、鎌倉時代の僧・寛伝が、母方の従弟にあたる源頼朝の追善のため、仏師運慶・湛慶父子に作らせ、頼朝の三回忌にあたる正治3年(1201年)に完成、像内に頼朝の鬚(あごひげ)と歯を納入したという。

X線撮影の結果、観音像の像内、口の辺に人間の歯らしきものが固定されているのが確認されている。

この三尊像は、近世の彩色で覆われているが作風等から伝承どおり運慶一派の作と認められている。」


滝山寺公式HPはコチラ

http://www.takisanji.net/jihou.html

 

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滝山寺本坊


毎年、旧暦正月の7日に近い土曜日に、鎌倉時代から続く「瀧山寺鬼祭り」が開かれ、運慶作の面をかぶった鬼と暗闇の中を乱舞する火祭りが行われるとか。

それもまた見てみたいものです。

 

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2023年5月 9日 (火)

源頼朝ゆかりの滝山寺(4)日吉山王社本殿

滝山寺本堂の北側に「日吉山王社本殿」があります。

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七間社流造、桟瓦葺(元檜皮葺)

1608年に徳川家康が建てたと伝えられています。

内陣の造りが七間社以上の流造にみられる連結方式ではなく、身舎を横長一室の内陣として奥に簡素な祭壇を設けている点が特徴。

2006年(平成18年)12月21日、岡崎市指定文化財に指定されました。

老朽化により、2019年(平成31年)4月から修復工事が行われ、2021年(令和3年)3月、薄い板を重ねた「こけらぶき」屋根の本殿が完成。

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 七間社流造、桟瓦葺(元檜皮葺)。慶長十三年(1608)徳川家康によって建立されたと伝えるが、現在の日吉山王社本殿は、本殿床下の背面板壁内側の「正保二年六月」の墨書、及び斗組、木鼻、蟇股の様式が滝山東照宮のものとほぼ一致することから、正保二年(1645)三代将軍家光の滝山東照宮建立の際に修築されたものと考えられます。

 現在、重要文化財に指定されている七間社以上の流造本殿は全国で九棟ありますが、このうち十一間社と九間社の本殿は、いずれも一間社または三間社を相の間で連結した連棟型社殿です。日吉山王社本殿は全国的にも数少ない七間社流造であり、また七間社以上の流造にみられる連結の社殿ではなく、身舎を横長一室の内陣として奥に簡素な祭壇を付設した平面構成となっている点が特徴です。

 

数年前に訪ねた時は、修復中でしたので、今回完成した本殿が見られて良かったです😊

本堂の裏手に進むと、稲荷神社がありました。

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2023年4月22日 (土)

源頼朝ゆかりの滝山寺(3)滝山東照宮

滝山寺境内の滝山東照宮は、三代将軍・徳川家光の命により勧進されたものであり、日光、久能山とともに、東照宮三宮とされています。

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正保元年(1644年)、徳川家光は徳川家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせたところ、家康もよく訪れていた滝山寺に観請するのが良いということになり、正保3年(1646年)9月17日に創建されました。

創建以来、滝山寺が別当職を兼務(別当寺)してきましたが、明治6年(1873年)の神仏分離により、滝山寺の運営から独立して独自の神官が選任され、無格社に列せられました。

大正5年(1917年)白山社、日吉社を合祀。

大正12年(1924年)稲荷社、若一皇子社、荒神社、神明社を合祀。

昭和28年(1953年)11月、本殿ほかが国の重要文化財に指定されました。昭和44年(1969年)より社殿の復元・大修理が行われ、
昭和46年(1971年)に完工。

本殿、拝殿・幣殿、中門、鳥居、水屋が重要文化財となっています。

拝殿
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滝山東照宮

重要文化財 本殿・拝殿・幣殿・中門・鳥居・水屋(付石柵・銅燈籠・棟札)

 滝山寺に伝える由緒書によれば、徳川三代将軍家光が、酒井忠勝、松平右衛門大夫及び龍山寺の青竜院亮盛の三人を召して、「三河の国は徳川家の本国、岡崎城は家康誕生の地で、また、在世の本城であるから、岡崎附近に権現さまを勧請したい。」「幸いにも、滝山寺は古跡で岡崎の要害の地にも当たり、家康が岡崎在城の節、信仰も厚かった霊地であるから、この地に東照宮を勧請するように……」と命じて神社が創建された。

 社地は、滝山寺本堂の東、やや小高い場所を整地し、正保二年(一六四五)五月に着工して、同三年九月に竣工したと伝えられる。

 江戸時代全期を通じて、日光東照宮、久能山東照宮と共に三宮の一つとして崇敬され、権勢を誇っていた。

 社殿は、東照宮風のけん爛華麗な漆塗り及び極彩色が施され、蟇股、手挟みなど江戸時代初期の特徴がみられる。創建以来、江戸時代に七回、近年では昭和四四年から四六年にと度々修理がなされている。

 拝殿の中に、狩野探幽一門の筆になる板地著色三十六歌仙扁額(市指定文化財)が掲げられている。

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