2024年6月14日 (金)

永福寺跡(1)南翼廊・南中門~北複廊

鎌倉市二階堂にある永福寺跡(ようふくじあと)は、源義経藤原泰衡をはじめとする数万の冥福を祈るため、鎌倉時代初期に源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した永福寺の跡です。

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造立責任者は工藤行政、建立には畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が『吾妻鏡』に記載されています。

建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われました。

当時は、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂が並び建つ壮麗な光景であったそうです。

鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つで、二階建ての仏堂であった事から二階堂とも称されました。

応永12年(1405年)の火災ののち廃絶。

現在、基壇が整備され、寺跡は国の史跡に指定されています。

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  国指定史跡 永福寺跡
 永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192)に、工事に着手しました。
 鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を廃した庭園の跡を確認しました。堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、前面には南北100メートル以上ある池が造られていました。
 鎌倉市では昭和42年度から土地の買収を行っており、現在史跡公園として整備事業を進めています。

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南翼廊(みなみよくろう)・南中門
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南翼廊は阿弥陀堂の南側より南に約13.4m、
ここで東に折れて東西に約27.7mの規模で発見されました。
板敷で東端が池中に延び、その先に釣殿があったと推測されます。
南中門は南翼廊の南面中央に開かれた間口約4.8m、
奥行き約3.6mの格式の高い四脚門(しきゃくもん)です。

中島
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 大きく南側に広がる池の中程にあり、様々な岩を組み合わせて島を築いています。
島の大きさは、南北に長さ10m、東西に幅5m、高さは1.2mあります
*整備では水を張った池中の島として表示できないので埋め戻して保護しています。

阿弥陀堂
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 二階堂の南側に立つ脇堂であり、正面が16.7m、奥行きが役12.7mの本瓦葺で、北側の薬師堂とほぼ同じ大きさのお堂です。創建期永福寺の特徴をなす極めて珍しい木製基壇(正面19.2m、奥行き15.3m、推定の高さ54cmm)の上に建てられていました。周囲に緑と雨落り溝、正面には階段が確認されています。

南複廊(みなみふくろう)
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 二階堂と阿弥陀堂をつなぐ幅約6.6mの長さ約12.7mの建物で、
二棟廊ともよばれます。前面が廊、奥が部屋になっていました。


北複廊(きたふくろう)
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 二階堂と薬師堂をつなぐ幅約6.6mの長さ約12.3mの建物で、二棟廊ともよばれます。前面が廊、奥が部屋になっていました。

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2024年6月 4日 (火)

源氏山公園の源頼朝公銅像碑

源氏山は源義家が後三年の役で奥州に向かう際、山頂に源氏の白旗を立てて戦勝祈願したところです。

源頼朝もこれにならい、平家討伐の際、源氏山の山頂で戦勝を祈願したといいます。

頼朝の鎌倉入り800年を記念して約2mの頼朝像が造られました。

源氏山公園の中央には芝生が広がり、家族連れの憩いの場となっています。

源頼朝公銅像碑
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この銅像は治承4年(1180年)10月源頼朝公が鎌倉入りして以来八百年目に当る年を記念し よりよい鎌倉づくりに市民が心を通い合わせることを誓い合った証として有志の方々から寄せられた尊い浄財によって建立されたものです
この像が中世日本の政治経済文化の中心として栄えた鎌倉の歴史と郷土鎌倉の象徴として永遠に守り継がれることを願うものです

昭和55年10月
源頼朝公銅像建立実行委員会


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私は紫陽花の咲く季節に行きました。

 

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2024年5月23日 (木)

鎌倉最古の寺「杉本寺」

杉本寺は、二階堂にある鎌倉最古の寺とされ、参道途中に苔むした石段があることでも知られています。

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731年(天平3年)東国の旅をしていた行基が、ここが観音様を祀る場所にふさわしいと考え、自ら彫った十一面観音を安置したことから始まり、734年(天平6年)、光明皇后が観音菩薩のお告げにより東国の治安の安定を願い、右大臣藤原房前と行基に本堂を建立させたと伝わっています。

仁寿元年(851年)に円仁(慈覚大師)が参詣し、十一面観音菩薩を自ら刻み安置し、寛和2年(986年)花山法皇の命により源信(恵心僧都)が十一面観音菩薩を自ら刻み安置し、その後花山法皇が巡礼したと伝わっています。

文治5年(1189年)火災で堂宇が焼失した際に御本尊三体自ら庭内の大杉の下に火を避けられたので、それより「杉の本の観音」と呼ばれたという言い伝えがあります。

『吾妻鏡』には建久2年(1191年)源頼朝が当寺を参拝し、修理料を寄進したとあり、その時に、御前立の十一面観音菩薩像を寄進したとされます。


ここから長い階段を上っていきます。


仁王門
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茅葺屋根の山門を守る仁王像は運慶作と伝えられています。

大蔵弁財天
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財宝、利得の神、弁天尊をお祀りし、古来より弁天尊をお参りすると大きな蔵が建つ程富に恵まれるという言い伝えがあるそう。

苔むした石段
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※ここは通行禁止です。観音堂へはこの左側の階段を上っていきます。

茅葺きの観音堂(本堂)
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本堂正面には、源頼朝寄進の前立本尊十一面観音様が安置されています。

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杉本寺(すぎもとでら)
鎌倉幕府が成立する500年も前の奈良時代(八世紀)に、行基が開いたと伝える鎌倉最古の寺です。
行基は奈良の大仏造営への貢献や貧民救済の社会事業などで知られています。
その後、光明皇后の寄進で本堂が建てられたと言われています。本尊の十一面観音像三体は、国または市指定の重要文化財で、うち一体は行基の作とされています。
坂東三十三観音霊場の第一番札所で、8月10日の縁日は参拝者でにぎわいます。
  ● 宗  派:天台宗
  ● 山号寺号:大蔵山杉本寺(だいぞうざん)
  ● 建  立:8世紀
  ● 開  山:行基
  ● 開  基:光明皇后

観音堂から苔むした石段を見下ろしてみましょう。

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権現堂(熊野大権現、白山大権現)
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もとは白山・熊野三山に祀られる熊野神が勧請されたもの

地蔵尊
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五輪塔群
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鐘楼
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