2017年5月16日 (火)

熊野の長藤(1)熊野(ゆや)御前と平宗盛

今年も熊野の長藤を見に出かけて来ました。

行興寺
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「熊野の長藤」は、磐田市池田の行興寺にあり、平安時代、平宗盛に寵愛された熊野御前が植えたとされる推定樹齢800年以上を数える長藤で、国の天然記念物にも指定されています。

この長藤の開花期間の4月下旬から5月上旬にかけて催される、「池田・熊野の長藤まつり」では、能舞台での各種イベントや、池田の渡船の再現、屋台の曳き回しなどがあります。

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謡曲「熊野」と行興寺

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謡曲「熊野」と行興寺

遠江国池田の宿の長 熊野は、平宗盛(清盛の次男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出掛けます。
熊野は病母から届いた手紙で見舞いに赴きたいと思い、宗盛に暇を乞いましたが聞きいれられず、やむなく宗盛に同行しました。
花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄かの村雨に散る花に寄せて、故郷の病母を気遣い
 
 いかにせん都の春も惜しけれど
         馴れし東の花や散るらん と

和歌を詠んだのを見て、宗盛も哀れに思い暇を与えたのです。
熊野はこれも清水観音のご利生と喜んで故郷へ帰って行きました。熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木あり、「熊野の長フジ」と称せられています。
 
          謡曲史跡保存会

熊野御前                              熊野御前花見

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熊野の長藤
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 熊野の長フジ 国指定天然記念物一本、県指定天然記念物五本

  国指定樹は、境内西北隅に位置し、幹は根元より分かれて二支幹となっている。根元で約1.8㍍もある。
  本堂前の境内地にある五本のフジは県指定樹であるが、国指定に劣らないフジの巨木である。ともに、樹齢は定かでないが老木であることは間違いない。
  花房が1㍍以上にも伸びて 紫色の美しい花をつける。一般的には「熊野の長フジ」と呼ばれている。そのいわれは、平安時代の終わりごろ、熊野御前が植えたとの伝承がある。熊野御前については謡曲熊野や平家物語にも登場する。親孝行で有名な美女である。
                                                                                                            

平成十八年三月 磐田市教育委員会

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 今年はちょうど見頃じゃないでしょうか。

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熊野(左)と熊野の母(右)の墓
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2017年5月 6日 (土)

源頼朝ゆかりの鳳来寺(3)仁王門

本堂から降りて仁王門へ

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ここから1425段の石階段が続きます。

源頼朝が13歳の時に、鳳来寺に3年間匿われ、その後鎌倉幕府を開き、謝恩の意を込めて本堂と三重塔を寄進。その折に石段も造ったと言われているそうです。

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仁王門が見えてきました。

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鳳来寺仁王門は、徳川家光の寄進によって建てられたもので、両側に大きな仁王像が立っています。

現存する仁王門は、慶安4年(1651)に再建された三間一戸、入母屋造の楼門、屋根は銅板葺。

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「鳳来寺」の額は、聖武天皇の御病気の折、光明皇后が鳳来寺の薬師如来に病気平癒のお願をかけ、天皇が御全快になったのでそのお礼に、皇后自ら「鳳来寺」の三字を書かれたといわれているものです。現在かかっている額は、改修の時作成されたレプリカです。

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ここからさらに階段が続きます。

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2017年4月29日 (土)

源頼朝ゆかりの鳳来寺(2)本堂~鐘楼

寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山、霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したと伝わっています。
 
文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっています。
 
利修の加持祈祷により、天皇は快癒し、この功によって伽藍が建立されたといいます。
 
源頼朝が平治の乱で落ち延びた際、 この鳳来寺医王院で13歳から3年間匿われたことから、鎌倉時代に頼朝によって再興されたと伝わっています。
 
戦国時代には、近郊の菅沼氏から寺領の寄進を受けますが、豊臣秀吉の時代では300石のみを許されただけで、他は悉く没収されました。
 
江戸時代に入ると幕府の庇護を受け、850石に増領。
 
徳川家光の代では、徳川家康の生母・於大の方が当山に参籠し、家康を授けられたという伝説を知った家光が大号令を発したため、当山諸僧坊の伽藍が改築されただけでなく、家康を祀る東照宮が新たに造営され、東照宮の運営領を含む1,350石が新たに寺領となりました。
本堂
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休憩所
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鐘楼
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常行堂址              番所址
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