五個荘(2)浄栄寺

錦鯉が泳ぐ水路のある通りは、鯉通りと呼ばれ、この通り沿いには、浄栄寺というお寺があります。
 
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こちらは、「金堂」という地名の由来に関わる寺院です。
 
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寺伝によると、聖徳太子がこの地を訪ねた際、不動坊という僧とともに、大きな金堂を建立した。これにより村の名前を「金堂」としたという。
 
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この時、聖徳太子と行動をともにした不動坊は不動明王の化身とされ、不動院を建立。その後、不動院は荒廃してしまったが、宝治元年(1247)浄栄法師が再興し、「清光山不動院浄栄寺」とした。

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五個荘の町(1)那須与一の孫・愚咄ゆかりの弘誓寺

五個荘町の古い町並みが続く金堂(こんどう)地区にある浄土真宗大谷派の古刹・弘誓寺は、本願寺三世覚如上人の高弟で、那須与一の孫・愚咄(ぐとつ)を開祖とし、正応3年(1290)に創建されました。
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正応5年(1292)には現在の寺号を受け、その後神崎郡躰光寺(たいこうじ)村に移り、天正9年(1581)には現在地の金堂に移転。
 
敷地は移転してきましたが、本尊と祖師親鸞上人真影は、代々受け継がれてきています。
滋賀県下で2番目に大きいという現在の本堂は宝暦5年(1755)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
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表門の前の川に錦鯉が泳いでいます。
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那須与一ゆかりの即成院

泉涌寺塔頭の即成院は、伏見長者と称された橘俊綱の創建で、元伏見大亀谷に所在していましたが、明治維新の廃仏毀釈で無住となり、泉涌寺塔頭の法安寺と合併し、明治35年に現在地に移されました。
ご本尊の阿弥陀如来坐像と二十五体の菩薩像が安置されています。
     山門                本堂
 
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   地蔵堂
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即成院は那須与一ゆかりの寺とされ、京都で病にかかった与一が、即成院の阿弥陀如来に祈願したところたちまち回復。以来、阿弥陀如来を肌身はなさず持っていたと伝えられています。

また、「屋島の戦い」の時も一心に阿弥陀如来に祈ったところ、見事に扇の的を射る事が出来たといわれています。
 
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本堂裏には与一の墓とされる石塔があります。
 
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即成院のHPによると
「源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております。
与一はその後、即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じ、京都に凱旋して戻り、すぐに出家し、残りの後半の人生を「源平の戦い」で、亡くなった方々の菩提を弔うという人生の選択肢をとり、京の地で平穏に暮らしましたが、最終的には即成院の阿弥陀さまの前で亡くなりました。そしてその後、境内には与一の遺徳を讃え、巨大な石塔のお墓が立てられました。」
 
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毎年、成人の日に「泉涌寺七福神巡り」が開催されます。

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