2019年12月 7日 (土)

頼朝の愛した新居町(18)新居関所 その弐

では、関所の内部を紹介します。

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このように当時の様子が再現されています。

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入り鉄砲に出女と姫街道

関所を通過する際、婦人は関所の改め女に念入りに身のまわりを調べられました。
頭髪などをかきまわし、髪の中に秘密の手紙でも隠していないか、あるいは着物と肌身の間に隠していないかなどと、時には裸にされて調べられたそうです。
高貴の婦人は、この調査をたいへんに嫌ったそう。
当然ですよね(^^;

その上、新居関所のある場所が「今切」というから、縁組のために通る人は
「今、縁が切れる」などと、縁起を担ぎ、さらに今切れの海上一里を船で行くのは、遠州灘の荒波をうけるので、船嫌いの婦女は新居関所から今切れの海上を通るのをとくに嫌ったのだそう。

 

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2019年11月29日 (金)

頼朝の愛した新居町(17)新居関所 その壱

新居関所の大御門が見えてきました。

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新居関所(今切関所)は慶長5年(1600)徳川家康により創設されました。幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」に対し厳しく取り締まりをしました。特に新居関所は約100年間、幕府直轄として最高の警備体制が敷かれていました。鉄砲など武器の通行ではもちろんのこと、当関所に限っては江戸へ向かう女性(「入り女」)にも「手形」が必要で、不備が見つかれば通ることはできませんでした。

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当関所は江戸時代中期に、自然災害で2度の移転を強いられました。現在に残る建物(「面番所」)は、嘉永7年(1854)の地震でそれまでの建物が倒壊したあと、安政5年(1858)までに再建されたものです。明治2年(1869)に関所は廃止されましたが、明治~昭和にかけて学校や町役場として使われ、当時の建物が日本で唯一そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価され、大正10年(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定されました。

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 現在、当市では新居関跡の復元整備事業を進めています。これまでに今切渡船場の石垣・護岸のほか、関所の入口となる枡形広場の土塁柵、高札場および大御門を復元しました。(湖西市観光振興協議会HPより)

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2019年11月17日 (日)

頼朝の愛した新居町(16)あと引きせんべい

新居関所の大御門のすぐ西側にある老舗の煎餅店の「あと引製菓」さん

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江戸時代は「江戸屋」という旅籠を営み、 明治以後は菓子屋という老舗で、新居の銘菓である「あと引煎餅」を製造販売しています。

戦後、店主が甘口の煎餅を考案し、お客さんが「あとを引くうまさ」とほめたことから、 「あとひき煎餅」と名前をつけたそうです。

あと引せんべいはには4種類の味があり、

・海苔
・胡麻
・生姜
・落花生

形も丸めて輪切りにしたものや、重ねて四角く切ったものがあり、袋入り、箱入り、量り売りもしています。

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午前中なら店頭で製造風景を見学できますよ。

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