嵯峨野の祇王寺(2)

かやぶき屋根の草庵の中の控えの間にある大きな窓は、吉野窓と呼ばれ、窓の格子と外の竹やぶが交差し、影が色づいてみることから「虹の窓」とも呼ばれています。
 
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仏壇には、本尊大日如来、平清盛祇王、祇女、母刀自、仏御前の木造が安置されています。
 
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正面向かって左の宝筐印塔が祇王、祇女、刀自の墓。
右の五輪塔は清盛の供養塔で、いずれも鎌倉時代に作られたものだそうです。

 

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嵯峨野の祇王寺(1)

久し振りに嵯峨野の祇王寺へ行って参りました。
こちらは、「平家物語」に登場する白拍子の祇王ゆかりのお寺です。
 
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平家全盛の頃・・・
 
当時、白拍子の祇王、祇女という姉妹がいました。

姉の祇王は、
平清盛の寵愛を得て、妹の祇女も有名になり、幸せに暮らしていました。
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ところが、加賀出身の白拍子・
仏御前が現れてから、清盛の心は仏御前に移ってしまいました。

祇王は館を追い出されることになり、母・刀自、妹の祇女とともに、ここで庵を結びました。

後に、世の無情を感じた仏御前が突然この庵を訪ねて来て4人の女性は念仏三昧の余生を過ごすこととなります。

 

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誓願寺(2)片桐且元の墓

誓願寺の本堂左手に進むと、片桐且元夫妻の墓があります。
 
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且元は、「賤ヶ岳七本槍」の一人で、幼い豊臣秀頼の補佐役でした。
慶長19年(1614年)「方広寺鐘銘事件」の釈明のためやって来ましたが、駿府に入ることを許されず、この誓願寺に滞在しました。
 
徳川家康は、この時且元に合わず、代わりに本多正純・金地院崇伝にこの件を責めさせ、目的を果たせず、大阪に戻った且元は、豊臣方から裏切り者扱いされ、大阪城を退去しました。
大坂冬の陣には徳川方として参陣、翌年の夏の陣では,大坂城落城に際して淀君,秀頼の助命を家康に懇願しましたが、聞き入れられず、元和元年(1615)京都で生涯を閉じました。
 
片桐且元公夫妻の墓
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向かって左が且元の墓です。
 
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墓石には、且元の子孫で、茶人・作庭家であった石州の銘があります。
また、本堂裏のひょうたん池のある庭園は、石州の作庭した庭と伝えられています。

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