2025年6月 9日 (月)

あじさい寺・明月院(1)

鎌倉の明月院は、源義朝と平清盛の争い・平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道(すどうぎょうぶだゆうとしみち)の供養のため、子の太夫山ノ内経俊が1160年、明月院の前身として創建しました。

その後、北条時頼がこの地に最明寺を建立。
時頼の死後、時宗が最明寺を前身に禅興寺を創建。

1380年、上杉憲方が禅興寺の中に塔頭明月院を建て、明月庵は明月院となりましたが、明治に入り、禅興寺は廃寺になり、明月院のみが残りました。


明月院は、約3000株のアジサイが咲き誇ることから「あじさい寺」として知られ、アジサイの時期には、境内に入るのに長蛇の列ができるほどの人気です。

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こちらの紫陽花はブルーが多いことから明月院ブルーとも呼ばれています。

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この寺で紫陽花を植えたのは、第二次世界大戦後に、物資や人手が不足して参道を整備する杭が足らず、杭の代わりに「手入れが比較的楽だから」という理由で、紫陽花を植えたものが徐々に有名になったのだそう。

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人気の原点は、意外なところにあったのですね。


撮影日 2022.6.17

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2025年5月28日 (水)

北条時頼の家臣の屋敷跡に建つ光則寺

鎌倉市長谷にある日蓮宗の寺院・光則寺

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開基は北条時頼の家臣で寺社奉行の宿屋光則(やどやみつのり)で、日蓮が佐渡に流罪になっている間、光則は弟子の日朗を土牢に監禁しましたが、次第に日蓮宗に心を寄せる様になり、1274年(文永11年)頃に自邸を寺院に改め、日朗を開山に迎え、父の名「行時」を山号、自身の名「光則」を寺号として「行時山光則寺」を創建しました。

1260年(文永元年)に日蓮は宿谷氏の邸宅を訪ね、「立正安国論」を時頼に建白。

現在の本堂は1650年(慶安三年)に建てられたものと伝えられ、修理を加えて現在まで続いているものです。

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境内には、立正安国論の石碑、宿屋光則邸宅跡の碑などが立っています。

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紫陽花の咲く季節、長谷寺の紫陽花の散策路の順番待ちの間に訪ねてみました。

こちらにも紫陽花が咲いていました。

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2025年5月16日 (金)

源頼家ゆかりの建仁寺(5)

次は変わった名前の庭園です(^0^;)

〇△☐乃庭
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三つの図形は、 禅宗の四大思想(地水火風)を、〇(苔山と砂紋)は水、△(白砂の部分)は火、☐(井戸)は地面を表しているそう。

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画像からは、△はわかりにくいですよね。

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潮音庭は、 中央に三尊石その東には坐禅石・廻りに紅葉を配し、どの方向から眺めても美しいという四方正面の禅庭です。

潮音庭
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以前、秋に見学したことがあるのですが、紅葉に彩られたこちらの庭園が大変印象に残っています。

 

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