滋賀情報 探訪「近江水の宝」琴糸の里を歩く

探訪「近江水の宝」琴糸の里を歩く-長浜市木之本町-

標記の探訪を下記のとおり、開催します。

詳しくは、添付のPDFおよびhttp://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20120514_1.htmlをご覧ください。

参加申し込み時に、参加する班が、1班か2班か、を必ずお伝えください。

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★日時:平成24年6月23日(土)1班9:30 ~ 15:00 頃、2班10:30 ~ 16:00 頃

★実施場所:長浜市木之本町一帯

★歩行距離等:歩行距離約3.5 ㎞(一部、山坂道)

★持ち物健康保険証・弁当・水筒・タオル・ウォーキングできる服装など

★日程
【集合・受付】JR木ノ本駅東口
 1班:9:30までに集合、2班:10:30 までに集合

【解散】JR木ノ本駅東口
1班:15:00頃に解散、2班:16:00 頃に解散
※班により糸取り工房と賤ヶ岳砦の訪問順序が異なります。

★定員50人(各班25名、事前申し込み、先着順)
★実費負担
①参加費100円
受付時に徴収します。
②長浜戦国大河ふるさと博きのもとセット券
(七本槍バス乗車・賤ヶ岳リフト搭乗・戦国大河きのもと館入館)
大人1000円(900円)、小中学生500円(450円)
( )内はICOCA 特典価格です。
受付時に参加者が個別にお買い求めいただきます。

★申し込み方法平成24 年6月21日午後5時までに申し込んでください(ただし
先着順、各班25 名まで)
必要事項:①氏名(ふりがな) ②電話番号
③居住する市町村名④参加する班は1班か2班か
⑤この探訪イベントを、なにで知ったか
※電子メールでの申し込みを推奨します。

★申込先:: ma07@pref.shiga.lg.jp
(このメールに返信しただいてもOKです。ただし、両方への申し込みは名簿整理の都合上、混乱しますので、避けてください。)

★その他悪天候等により中止する場合は、6月22 日午後5時までに、参加
申し込み者あて連絡します


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横浜三渓園の横笛庵

横浜の三渓園横笛庵という建物があります。

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建物内に横笛の像が安置されていたことから横笛庵と呼ばれていますが、横笛の像は、戦争の際に失われてしまいました。

横笛は、高倉天皇の中宮 建礼門院に仕え、平清盛の従者である斉藤時頼(滝口入道)と悲恋に終わった女性です。 横笛が、他の人々の恋が実ることを願って、時頼から寄せられた千束の恋文で作った己の像は、縁結びの像」として知られていました。

(案内板、三渓園HP参照)


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逆櫓の松跡趾

大阪の福島駅から南へ10分ほど歩いたところに、「逆櫓の松跡」という石碑があり、ここで義経梶原景時との対立があったという伝承があります。

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この付近には、蛸の松や鶴の松など面白いネーミングの松がありましたが、逆櫓の松とともに、明治の初年になくなってしまったそうです。
明治の記録によると、逆櫓の松は樹齢1000年以上、航行の目印になっていたそうですから、かなり大きな松だったのでしょうね。

 逆櫓(さかろ)の松跡

 『平家物語』の逆櫓の段によれば、1185年2月、源義経は、平氏を討つため京都を出発し、摂津国の渡辺、福島から、四国の八島(屋島)を船で急襲しようとした。
 義経軍は、船での戦いはあまり経験がなかったので、皆で評議していると、参謀役の梶原景時が「船を前後どちらの方角にも容易に動かせるように、船尾の櫓(オール)だけでなく船首に櫓(逆櫓)をつけたらどうでしょう」と提案した。しかし義経は「はじめから退却のことを考えていたのでは何もよいことがない。船尾の櫓だけで戦おう」と述べた。
 結局逆櫓をつけることをせず、夜に入って義経は出陣しようとした。折からの強風を恐れてか、梶原景時に気兼ねしてか、それに従ったのは二百数艘のうちわずか5艘であったが、義経は勝利をおさめた。   
 その論争を行った場所が、一説によればこのあたりといわれている。この地には、江戸時代の地誌『摂津名所図会』によれば、幹の形が蛇のような、樹齢千歳を越える松が生えていたという。この松を逆櫓の松と呼んだ。
 逆櫓の松は、近代に入るころには、既に枯れてしまっていたらしい。
             大阪市教育委員会

大正15年4月福島史談会が「逆櫓の松跡趾」の碑を建てたが、昭和20年3 月13日の大阪大空襲で行方不明になっていた。昭和33年に見つかり、地元有志によって昭和49年5月に現在地に移設された。 (大阪市福島区HPより)

 


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