2010年1月28日 (木)

神戸の源平史跡を訪ねて(11) 来迎寺 「松王丸の墓と松王小児入海の碑」

築島寺とも呼ばれる来迎寺は、経島築造の際、人柱となった松王丸の菩提を弔うために清盛が建立したといわれている。

「築島寺縁起」による松王丸伝説

清盛の経島築造は、なかなか思うように進まず、失敗続きであった。
そこで、一町に一路ずつの人柱を立てることにし、生田の森に関を作って、三十人の旅人を捕まえようとした。ここに、香川の城主・大井民部の一子、十七歳の松王が、自分が三十人の身代わりになると申し出た。そこで、経石と共に、松王を石の櫃に入れて海に沈めると、見事に陸地が出来上がったという。清盛は、松王に感謝し、千僧を集めて供養した。すると、松王が如意輪観音の姿になって現れたという。
感激した清盛は、ここに壮麗な寺院を建てた。

「平家物語」では、公卿達に人柱を進められた清盛はそれはあまりにも罪深いと断り、石に一切経を書いて沈め、島を築いたので「経の嶋」と名付けられたと書かれている。

また、「源平盛衰記」では、工事が失敗続きであったため、海竜王をなだめるために人柱を立てることにした。白鞍を置いた白馬に童子を乗せ、一切経を書いた石とともに海に沈めたという人無しらと経石併用説をとっている。
(源平史跡ハンドブック参照)

境内には、松王丸小児入海の碑と松王丸の墓(供養塔)があります。

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2010年1月 9日 (土)

神戸の源平史跡を訪ねて(10)真光寺 一遍上人の御廟

時宗の開祖である一遍上人が全国を遊行中に亡くなった慈寂の場として有名で、境内には廟所があります。

一遍上人は、鎌倉時代1239年に伊予国(愛媛県Iで生まれました。
当寺は、平治の乱、源平合戦、承久の乱が次々と起こり、天変地異、飢饉も重なった世紀末のような時代。
また平安時代中期までは、念仏というものは、僧侶が唱え、聞くことができるのは貴族階級だけでしたが、それを一般大衆に広めていったのが、空也や一遍たちでした。

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2010年1月 1日 (金)

みなさまへ

Tora 昨年もたくさんのコメントをありがとうございました。

今年も当ブログをよろしくお願いします!

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2009年12月23日 (水)

京都検定の問題より

先日、京都検定2級を受検しました。

その中で、このブログに登場した人物、寺社に関する問題を載せておきます。

皆さんも挑戦してみてください!

●源義家が元服の式をあげたことで知られ、弓矢の神、戦勝の神として武家の信仰を集めた神社はどこか?

(1)大将軍神社 (2)石清水八幡宮 (3)若宮八幡宮社 (4)建勲神社

答え (2)

※叡山電鉄沿いの京都についての長文問題から抜粋

●二軒茶屋駅を過ぎたあたりから線路は山の中に入っていく。貴船口駅で降りて(   )資源の水神として信仰を集めてきた貴船神社へ向かう。

(1)紙屋川 (2)音羽川 (3)賀茂川 (4)高野川

答え (3)

●7月7日には「貴船まつり」が行われ、献茶式、舞楽奉納に続き、(    )式包丁が披露される。

(1)進士流 (2)小笠原流 (3)大倉流 (4)生間流

答え (4)

●終点の鞍馬駅を降りると、昔のたたずまいを残す町並みから、名物の(   )の香りが漂う。

(1)木の芽煮 (2)しば煮 (3)すぐき (4)大根焚き

答え(1)

●鞍馬寺の仁王門をくぐり、九十九折の参道を登ると、途中に京都三大奇祭の一つ「鞍馬の火祭りが行われる(    )がある。

(1)愛宕神社 (2)志古淵神社 (3)由岐神社 (4)秋元神社

答え(3)

●さらに登ると本殿金堂が見えてくる。6月20日には、法師が近江座と(    )に分かれて、青竹を伐る速さを競い、豊凶を占う「竹伐り式」が行われる。

(1)丹後座 (2)丹波座 (3)山城座 (4)大和座

答え(2)

●また霊宝殿では、鞍馬山の動植物や仏像などを展示しており、前には(   )の書斎「冬柏亭」が移築されている。

(1)与謝野晶子 (2)吉井勇 (3)大田垣蓮月 (4)向井去来

答え(1)

さあ、どうでしたか?

皆さんなら簡単に解けたのでは?

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2009年11月17日 (火)

神戸の源平史跡を訪ねて(9)真光寺 真野弁天

清盛が築島築造の時、大池に住んでいた竜のたたりを防ぐために、お堂を建てて大日如来を祀ったと伝えられています。
お堂の一つに「広池山竜蔵院」があり、大竜の竜骨を納めていたとも伝えられています。
また、清盛が厳島神社を勧請した七弁天のひとつである真野弁天はこの大日堂であったといわれています。(源平史跡ハンドブック参照)

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2009年11月 6日 (金)

神戸の源平史跡を訪ねて(8)薬仙寺 後醍醐天皇後薬水 薬師出現古跡湧水

薬仙寺境内には、後醍醐天皇後薬水 薬師出現古跡湧水の史跡もあります。

当寺本尊薬師如来示現の霊泉である。
元弘の変の時、後醍醐天皇が隠岐島より還幸の途中、兵庫で病床に伏した。
当寺の住職が、この霊水を薬水として献上し、服用させたところ、たちまちのうちにご快癒されたと伝えられる。(案内板より)

開創当初は、法相宗寺院でしたが、後に天台宗に、南北朝時代には時宗寺院になりました。
後醍醐天皇が霊水で快癒したことから現寺号になったといわれています。

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2009年10月24日 (土)

神戸の源平史跡を訪ねて(7)薬仙寺  萱の御所跡

清盛橋から薬仙寺へ。

この辺りはもと清盛の別荘・萱の御所があったところで、清盛が後白河法皇を幽閉すたことから、籠の御所(牢の御所)とも呼ばれたと伝えられています。
萱の御所の遺跡は、清盛塚の傍らにありましたが、運河拡張によって河中に没してしまい、再建されたとのことです。

※萱の御所の位置については、平教経邸であるという説もあります。

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2009年10月11日 (日)

神戸の源平史跡を訪ねて(6) 清盛橋

清盛塚から兵庫運河をまたぐ橋は、清盛橋と名付けられ、橋の欄干に源平合戦絵巻のレリーフが飾られています。
なかなかの力作で、一枚、一枚見入ってしまいました。
史跡めぐりの間にこういう物も見られると、歩くのも苦になりませんね。

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2009年9月27日 (日)

神戸の源平史跡を訪ねて(5)兵庫住吉神社

清盛塚、琵琶塚、清盛像があるのが、この住吉神社の境内です。

住吉神社の縁起略記は上の写真をクリックしてご覧ください。

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2009年9月13日 (日)

神戸の源平史跡を訪ねて(4) 琵琶塚

清盛塚には、一ノ谷の合戦で討死した琵琶の名手・平経正の塚と伝えられきた琵琶塚が建っています。

琵琶塚は、以前清盛塚と小道を挟んで北西にあった。
もとは、前方後円式の古墳であって、その形から琵琶塚と呼ばれていた。
「平家物語」にみえる琵琶の名人・平経正に結び付けて、琵琶塚つまり経正の塚と言われる様になった事は、延宝八年(1680年)「福原びんかがみ」に記されている。(案内板より)

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