妙本寺(3)若狭局を祀る蛇苦止堂
妙本寺の方丈門のところに境内の案内図があります。
ここから門に入らず脇の細い道を進んで行くと、階段があり、これを上って行くと、蛇苦止堂というお堂に辿り着きます。
比企の乱で、井戸(一説に池)に飛び込んで自害したという若狭局は、後に北条政村の娘に霊となって憑き、日蓮によって供養され、蛇苦止堂(じゃくしどう)に祀られたといいます。
比企の乱より50年ほど後、北条政村の娘が何かに取憑かれて座敷をのたうち回り苦しみ、「北条家に恨みがある。わらわは讃岐局。今は蛇身を受け、比企谷の土中で苦しみを受けている」と語りました。讃岐局の弟にあたる比企能本は日蓮聖人に救いを求め、日蓮聖人は、讃岐局の怨霊を法華経の功徳を以て成仏せしめ、蛇苦止明神と名付けて祀りました。それ以来、今も毎月1日(正月は2日)に例祭をつとめ、信徒と共に法華経読誦唱題が続けられています。(妙本寺HPより)
若狭局
父能員は初代将軍源頼朝の乳母・比企尼の甥であり、その縁故によって頼朝の嫡男・頼家の乳母父となった。頼家の妻妾となった若狭局は建久9年(1198年)、頼家が17歳の時に長子一幡を生む。
一幡が6歳になった建仁3年(1203年)8月、病となった頼家が危篤状態に陥り、その家督相続を巡り若狭局の一族比企氏と、頼家の母方の外戚北条氏との対立による比企能員の変が起こる。9月2日、能員が北条時政によって謀殺され、知らせを受けて一幡の屋敷である小御所に立て籠もった比企一族は北条義時率いる大軍に攻められ、屋敷に火を放って自害し、一族は滅亡した。『吾妻鏡』では一幡と若狭局もその時焼死したとしている。(Wikipediaより)
蛇苦止ノ井は、若狭局が身を投げた井戸とされています。
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