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2005年8月

2005年8月31日 (水)

毛越寺(1)

平泉駅前から出ている巡回バス「るんるんバス」で平泉町の観光地をまわることにした。一日フリー乗車券なら何回乗っても300円という便利でお得なバスである。コースは毛越寺(もうつうじ)からスタート。

毛越寺は奥州藤原二代基衡(もとひら)秀衡(ひでひら)ゆかりの寺で、850年、慈覚大師によって開かれた。二代、三代の時代には、仏像をまつるお堂や塔、僧坊が中尊寺よりたくさん建てられたという。しかし、藤原氏が滅んだ後はほとんどが火災でなくなってしまった。今残っているのは浄土庭園と建物の土台の石のみである。

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2005年8月30日 (火)

いざ東北へ!

今年6月下旬、義経ブーム発祥の地、奥州平泉へ行ってきました。浜松から東海道新幹線で東京へ出て、東北新幹線に乗り換え、一ノ関で下車。そこで東北本線に乗り換えて平泉へ。この東北本線のドアは、乗り降りの際、、ボタンを押して開けるという半手動式で、(駅によっては自動で開く)これには少々驚いた。駅へ着くと、一ノ関の駅も平泉の駅も義経一色という感じであった。C_57 b b

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2005年8月29日 (月)

東山・松原の怪しいお店

六波羅蜜寺や六道珍皇寺から近い松原通りに幽霊子育て飴という看板を掲げた店があるそうだ。身重のまま死んでしまった母親が幽霊となって夜な夜な飴を買いに来て、墓の中で子を産み、その飴で赤ん坊を育てたという話が伝わっているとか。あなたも飴をおひとついかがですか?

まだまだ残暑が厳しい日が続いていますが、たまにはこんな話で涼しくなってみては・・・

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2005年8月27日 (土)

六波羅蜜寺と六道珍皇寺の”六”とは?

六波羅蜜の波羅蜜とは、修行方法の完全なあり方をいい、布施、持戒、忍辱、精神、禅定、智慧の六つを指す。

六道とは仏教の世界観で、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界の六つをいう。

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六道珍皇寺

六波羅蜜寺から歩いてすぐのところに六道珍皇寺がある。この辺りが「六道の辻」であり、ここから手前がこの世で、ここから奥があの世ということらしい。このお寺に閻魔大王と共に祀られている小野篁は、昼間は嵯峨天皇に使え、夜は閻魔大王に仕えていたという伝説が残っている。この世とあの世を行き来するのに使っていたという井戸が境内にあるのだが、格子越しに覗くようになっていて近くまでは行けない様にしてあった。そこがまた不気味さを醸し出している。C_58

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2005年8月26日 (金)

六波羅蜜寺

六波羅蜜寺は951年、空也上人によって開かれた。

この辺りは平清盛、重盛をはじめ平家一門の邸宅が170もあったことで知られている。庭では「清盛公の塚」、宝物館では「清盛像」、「空也上人像」を見ることが出来る。(京都市東山区松原通  市バス清水道から徒歩10分) 1c_9 C_59 C_60                               

                                      

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2005年8月24日 (水)

清水寺(2)子安の塔

子安観音(千手観音)を祀り、安産に大きな信仰を集めている。

義経の母・常盤が吹雪の中、今若、乙若、牛若(義経)を連れて千手観音にわが子の無事を祈ったという。C_61

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2005年8月23日 (火)

清水寺(1)弁慶

清水寺の本堂に入る直前に、弁慶ゆかりのものがある。

弁慶が使っていたとされる錫杖、鉄下駄、足跡である。

「あんな思い下駄を履いて歩けるのか?あんなに大きい足ってあるの?」 という疑問を持って見ていたら、錫杖を本気で持ち上げようとしている若い子ども連れのお母さんがいてビックリした。C_62 C_63 C_64

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2005年8月22日 (月)

五条大橋

五条大橋といえば牛若丸と弁慶が一騎打ちした場所として知られているが、当時の五条大橋は現在の松原橋(鴨川の四条大橋と五条大橋にかかる橋)にあたるという。

「義経記」によれば、二人は五条天神社(京都・西洞院)で出会い、清水寺で一騎打ちをしたとされている。また、鬼一法眼の高弟・湛海(たんかい)と義経が五条天神社で戦ったという場面も描かれている。

五条大橋        松原橋          五条天神社

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2005年8月21日 (日)

鞍馬寺(8)開運毘沙門天

多宝塔建立のとき、草むらから出現された石仏で、世に開運毘沙門天という。(立て札より)

毘沙門天について・・・七福神の一つとしては、毘沙門天、四天王としては多聞天といい、財宝や福徳を与える神として祀られている。特に戦勝を祈願する神として、武士の信仰を集めていたそうである。

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2005年8月19日 (金)

鞍馬寺(7)童形地蔵

参道の脇に、童形六体地蔵尊がある。

立て札には、「子どもはみなほとけの子」「子どもは天からの授かり物」「子どもは親の心をうつす鏡」と書かれている。b

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鞍馬寺(6)川上地蔵堂

川上地蔵堂は、供養塔の向かいにある。

ここはかつて遮那王と称した牛若丸(義経)の守り本尊であった。

遮那王は剣術修行の傍ら手を合わせていたという。 1c_10 2c_10

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2005年8月18日 (木)

鞍馬寺(5)義経公供養塔

この供養塔は昭和15年に東光坊跡地に建立された。

義経の幼少時代、牛若丸の頃、昼間は学業に励み、夜になると僧正が谷まで山道を駆け上がり剣術修行に励んだ。 1c_11 C_66

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2005年8月17日 (水)

鞍馬寺(4)阿吽の虎

鞍馬寺の仁王門と本殿の前に、狛犬ではなく一対の虎の像がある。

鞍馬寺の本尊である「毘沙門天」が、寅の月、寅の日、寅の刻に現れたことから虎が据えられたという。

「阿」は物事の始まりを、「吽」は物事の終わりをあらわしている。C_67

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鞍馬寺(3) 雲珠桜

雲珠桜(うずざくら)とは、特定な桜の品種ではなく鞍馬一帯に散在する山桜、しだれ桜、八重桜などが咲く様子が平安時代の馬具の飾り金具(雲珠)に似ていることからそう呼ばれることになったそうである。 Uzuzakura

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2005年8月16日 (火)

鞍馬寺(2)本殿金堂と翔雲台

多宝塔から参道を少し歩き、石段を登ると本殿金堂に辿り着く。

本殿金堂は、三尊尊天を祀り、地下は宝殿となっている。

また、本殿金堂前にある翔雲台は、650万年前、毘沙門天が降臨されたと伝えられている。真ん中の石は、本殿金堂裏から出土した経塚の蓋石という。 1c_12 1c_13 2c_11

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2005年8月15日 (月)

鞍馬寺(1) 仁王門~多宝塔

鞍馬寺は、義経が牛若丸の頃、修行した寺である。

叡山電鉄鞍馬寺駅を降りるとすぐ巨大な天狗が出迎えてくれる。

鞍馬名物、木の芽煮の匂いがする土産物屋の前を通ると鞍馬寺の仁王門が見えてくる。

私は、上りは鞍馬山門から多宝塔までケーブルを利用することにした。C_68 C_69 2c_12 C_70

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2005年8月14日 (日)

由岐神社

火祭りで有名な由岐神社は鞍馬寺の敷地内にある。

拝殿は中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で、国の重要文化財にも指定されている。

大杉の木は大河ドラマのタイトルバックにも使われている。

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2005年8月13日 (土)

鬼一法眼

平安時代、京都の一条堀川に住んでいた陰陽師。

義経が幼少時代、この鬼一法眼から六韜三略(りくとうさんりゃく)という兵法を学んだといわれている。

鞍馬寺の境内には鬼一法眼を祀った鬼一法眼社(中央)、かつて法眼が住んでいた一条堀川には、一條戻り橋(右)がある。左は美輪さんの鬼一法眼。Miwac C_73 C_74   

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2005年8月12日 (金)

神泉苑

義経と静御前が初めて出会った場所といわれる庭園。静が雨乞いの舞を舞い、その姿を義経が見初めたという。(京都市中京区御池通)

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2005年8月11日 (木)

首途八幡宮

義経が奥州に向かう前に立ち寄って、旅の無事を祈願したといわれている。

首途とは出発の意味で、旅立ちや旅行の安全の信仰を集めている。

ここは、奥州へ義経を案内した金売吉次の屋敷跡ともいわれている。

                  

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(京都市上京区)

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2005年8月 6日 (土)

源範頼

源義朝の六男で、義経の異母兄。母は遠州池田宿の遊女。

蒲御厨(かばのみくりや)で生まれたため、蒲冠者(かばのかじゃ)ともいわれている。

koyasujinjya_torii 子安神社(浜松市子安町)の鳥居  

                 

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子安神社 本殿 

 範頼が、娘の出産の無事を祈って建てたという。

b 子安神社 由緒  

                          

 

蒲神明宮は浜松一の古社である。範頼はこの辺りで育った。

蒲神明宮 

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 稲荷山龍泉寺(浜松市飯田町)この辺りに蒲氏の別荘があった。        b b b         b          b         

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2005年8月 5日 (金)

二つ御堂

浜松市東若林町の国道を挟んで両側に、二つの御堂がある。北の御堂は、藤原秀衡の愛妾が秀衡が京都で死去したとの誤報を聞いてこの地に建てたものである。その後、愛妾は病で死んでしまった。一方、南の御堂は、その話を聞いた秀衡が、平泉に帰る途中、愛妾のために建てたものである。 

南の御堂                              北の御堂    b bb

 

  

秀衡松  b b          b                                       

  

                    

                                                                                         

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2005年8月 4日 (木)

熊野の長ふじ

平安時代末期、遠江池田の荘に生まれ歌人として活躍した熊野(ゆや)御前は、平宗盛の寵愛を受けた。熊野御前とその母の墓のある行興寺には、熊野が植えて愛でたといわれる推定樹齢800年の国指定天然記念物の藤の木がある。見頃は4月下旬~5月上旬で、その花房は約1.5mにもなる。05050509p5050215c 05050510p5050229c

                                                                                                     

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