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2005年9月 5日 (月)

毛越寺(7)遣水

池の北側には、平安時代の遺構としては日本唯一のものとされる遣水があります。池に水を引くためと、山水の宴を開くためのものとして造られた水路ですが、水切り、水越し、水分けなどの石組を配し素晴らしい景観を作っています。C_54 b

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義経ゆかりの地を訪ねて」カテゴリの記事

コメント

山水の宴は、上賀茂神社の曲水宴みたいなものでしょうか?
優雅な遊びですね。

そうそう、観光のための時間の目安を教えていただいてありがとう。
おおいに参考にさせていただきます。

私は上賀茂神社の曲水宴は見たことがないので比較できませんが、藤原の祭りの様子を見ると、平安時代の雅な遊びだったようですね。

私もしずかさんの説明を読んで上賀茂神社の「曲水の宴」を連想しました。
merryさんと一緒に行ったから当然ですが・・・
(枝垂れ桜の時期で「曲水の宴」は見ていません。)
色んな所に昔の名残を見ることが出来るのですね。

今、上賀茂神社のHPで桜の写真を見ました。枝垂れ桜、見事ですね。来年行ってみようかな。

遣水の遺跡は、藤原氏が京都に劣らぬ文化をもって栄えた証ですね。

平泉に行った時、バスの運転手さんが、「秀衡は、義経が平泉にいる間、淋しくならないように京都に似た町をつくろうとしていた」と言っていました。

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