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2005年9月

2005年9月30日 (金)

満福寺(2)

江ノ電の線路を渡り、民家の前の道を通り過ぎると、満福寺に続く階段が見えてきます。階段を上がると、すぐに本堂が見えます。本堂に向かって右手に弁慶の腰掛石、左手には義経公慰霊碑弁慶の手玉石、裏には義経公手洗いの井戸があります。b b b b

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2005年9月29日 (木)

満福寺(1)

今年の7月、藤沢から江ノ電に乗って、腰越の満福寺に行って来ました。江ノ電は義経ラッピング電車を走らせ、腰越駅は義経のイラストで、飾られていました。腰越は、江ノ島にも鎌倉にも近い漁港の町です。b お寺に向かう道の民家に義経の人形が飾ってありました。b b

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2005年9月28日 (水)

熱田神宮(3)大楠

境内で有名な木の中には、樹齢1000年以上で、弘法大師のお手植えという大楠(写真下)や、花は咲いても実のならないならずの梅などがあります。b

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2005年9月27日 (火)

熱田神宮(2)太郎庵椿

江戸中期の茶人、高田太郎庵が愛好したことから名付けられた樹齢300,年を越えるヤブツバキの一種で、正門から入ってすぐ左手の下知我麻神社の庭にあります。

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2005年9月26日 (月)

熱田神宮(1)本宮

9月21日、名古屋の熱田神宮へ行って来ました。義経が元服し、「源九郎義経」と名乗ったのが「義経紀」ではこの熱田神宮とされています。頼朝の母が熱田神宮大宮司の娘だったということもあり、元服するのにふさわしい場所であったのでしょうか。
(元服地については諸説あります)

熱田大神は、三種の神器の一つである草薙神剣を御霊代とする天照大神であり、本宮は神明造り、銅板葺きで、規模は伊勢神宮とほぼ同じです。b

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2005年9月23日 (金)

藤原の郷(4)

藤原氏初代清衡の居住館を再現した経清館にも経清のろう人形があります。山を降りて伽羅御所へ移動。池の向こうには、宇治の平等院鳳凰堂を模した無量光院が見えます。園内では平安体験として、義経や静の衣装着付け体験や貝合わせ体験が無料で出来ます。

経清       伽羅御所    滝沢秀明のサインb b b

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2005年9月22日 (木)

藤原の郷(3)

中心部には、「陰陽師」のセットで登場した政庁、その脇には「義経」の京の町で登場する通りがあります。政庁を出て、少し山の方に上ると義経持仏堂安宅関があります。

政庁       京の町      義経持仏堂b b b     

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2005年9月21日 (水)

藤原の郷(2)

次に見えてくるのが義経館弁慶館です。義経館では義経、静、清盛らのろう人形があります。兜の重さを体験できるように、自由に被れる兜が置いてありました。被ってみましたがかなり重かったです。弁慶館に入ってしばらくすると、弁慶の怒鳴り声が聞こえてきます。これには驚きました。ここでは弁慶の鉄下駄と薙刀の重さが体験できます。

義経館 b b b                            

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2005年9月20日 (火)

藤原の郷(1)

東北旅行、二日目は大河ドラマ「義経」のセットがある江刺市の藤原の郷に行ってきました。入場ゲートを入って左手に進むと舞楽殿、延命千年杉、望鐘楼が見えてきます。私が行った時、舞楽殿の横でNHK BS番組用のセットを作っていました。

延命千年杉     望鐘楼    舞楽殿      b b b   

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2005年9月19日 (月)

高館(4)夏草句碑

1689年、松尾芭蕉は、奥の細道の旅の途中、高館において義経公を思い次の俳句を詠みました。

      夏草や 兵どもが 夢の跡 

この句を残したのは高館ですが、句碑は毛越寺にもありました。

高館の句碑  毛越寺の句碑b b

               

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2005年9月18日 (日)

高館(3)義経像

この義経像は、堂創建時に製作されたもので、古い技法を使っているそうです。特徴として頭部と兜が別作りである、髻が付いている、鎧の上に衣を装っているなど。b

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高館(2)義経堂

高館の階段を上っていくと、仙台藩主伊達綱村が義経を偲んで建てた義経堂に着きます。中には鎧兜姿の義経の木像が安置されています。

義経堂の脇にある宝物館には。武具や絵馬、発掘された品々が展示されています。

義経の木像              義経の兜

  b b C_56

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2005年9月17日 (土)

高館(1)

次はいよいよ義経最期の地、高館です。高館は、北上川や束稲山(たばしねやま)、衣川を望むことが出来る眺望が素晴らしい所です、ここは頼朝に追われ、秀衡を頼って再び平泉に戻ってきた義経の居館があった所といわれ、泰衡に襲われ妻子とともに自害したのもこの地と伝えられています。また衣川の流域は、弁慶立ち往生の故事でも知られています。
大文字祭り  
毎年8月のお盆には束稲山に大文字の灯が焚かれ、北上川には灯篭が流されます。
bb

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2005年9月16日 (金)

中尊寺(5)金色堂

本堂を過ぎればすぐ左手に金色堂が見えてきます。金色堂は、中尊寺創建当初の唯一の遺構です。皆金色の阿弥陀堂は、金箔、金銀珠玉、夜光貝などの装飾が施され、藤原氏の黄金文化を象徴しています。本尊は阿弥陀如来。中央の仏壇には清衡公、向かって左が基衡公、右に秀衡公の御遺体、泰衡の首級が納められています。C_37

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2005年9月15日 (木)

中尊寺(4)本堂

東物見台を過ぎると右手に本堂が見えてくる。中尊寺は天台宗の東北大本山で、ご本尊は阿弥陀如来。多くの法要儀式がここで行われる。

本堂前の参道で、目のお守りと頭のお守りを買いました。 C_35 C_36

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2005年9月14日 (水)

中尊寺(3)東物見台

きつい坂を上り終えると視界が急にぱっと開ける場所があります。そこが東物見台です。ここからは束稲山(たばしねやま)と北上川を一望できます。しばらくここで息を整えてまた出発です。b

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2005年9月13日 (火)

中尊寺(2)弁慶堂

急な坂を上ると、左手に弁慶堂があります。墓には弁慶と義経の木像が飾られていました。 C_33 C_34

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2005年9月12日 (月)

中尊寺(1)月見坂

次に向かったのは中尊寺です。中尊寺は東北大本山。山号を関山といい、慈覚大師によって開かれました。入り口から続く月見坂の両側には、歴代の藩主によって植えられた杉が鬱蒼と茂っています。(この坂は登り始めから急で、相当疲れます。)b

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2005年9月11日 (日)

平泉郷土館(5)

郷土館の義経像C_38

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2005年9月10日 (土)

平泉郷土館(4)

C_39

奥州で藤原秀衡 に対面する義経

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2005年9月 9日 (金)

平泉郷土館(3)

C_40 三人の幼子を連れて都落ちする常盤

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2005年9月 8日 (木)

平泉郷土館(2)

天狗を相手に剣術の修行をする牛若丸 C_44 C_42 C_43 

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2005年9月 7日 (水)

平泉郷土館(1)

バスで次に向かったのは、平泉郷土館。私が行った時は、ちょうど「義経展」を開催していました。中は撮影してもOKということで、展示されていた義経絵巻の写真を撮りました。C_45

五条大橋で弁慶と対決する牛若丸

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2005年9月 6日 (火)

毛越寺(8)南大門跡

「吾妻鏡」に出てくる「二階惣門」にあたり、桁行(横、東西)三間、梁行(縦、南北)二間の平面形式をもち、今でも12個の礎石が残ってます。この礎石からでも当時の毛越寺がいかに壮大であったかを知ることができます。C_55

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2005年9月 5日 (月)

毛越寺(7)遣水

池の北側には、平安時代の遺構としては日本唯一のものとされる遣水があります。池に水を引くためと、山水の宴を開くためのものとして造られた水路ですが、水切り、水越し、水分けなどの石組を配し素晴らしい景観を作っています。C_54 b

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2005年9月 4日 (日)

毛越寺(6)出島と立石

「義経」のオープニングで、白馬が駆け抜けて行く池がこの大泉が池です。
私が池を一周してみて最も美しいと感じたのが、池の東南岸にある荒磯の趣を表した出島です。池辺から水中へ玉石を敷き詰め、石組が突き出し、高さ2mの立石がそそり立っています。

C_53

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2005年9月 3日 (土)

毛越寺(5)洲浜

砂洲と入江が柔らかい曲線を描き、美しい海岸線を表しています。大泉が池は、池の隅々まで様々な表情を見せてくれます。b

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2005年9月 2日 (金)

毛越寺(4)大泉が池

塔山を背景にした浄土庭園は、平安時代の庭作りの秘伝書「作庭記」にしたがって造られた。建物こそ残っていないが、庭園を中心にお堂の跡がきちんと保存されている。
池は東西約180m、南北約90mで、池のほぼ真ん中に勾玉状の
中島がある。中島にはすべて玉石が敷かれている。 C_49 C_50 C_51 C_52

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2005年9月 1日 (木)

毛越寺(3)寺名の読みと白鹿伝説

毛越寺をどうして「もうつうじ」と読むようになったのか。

普通は「越」という字を「ツウ」とは読まず、慣用音で「オツ」と読みます。
はじめは「モウオツジ」だったのが「モウツジ」になり、更に「モウツウジ」に変化したそうです。

白鹿伝説 

自伝によると、850年(嘉祥3年)、慈覚大師が東北巡礼の途中、この地にさしかかった時、霧に覆われ前に進めなくなりました。足元には白鹿の毛が落ちていて、不思議に思った大師が毛を辿っていくと、白鹿がうずくまっていました。
大師が近づくと白鹿は姿を消し、その代わりに白髪の老人が現れ、「この地に堂宇を建てよ。」と告げました。大師は一宇の堂を建て、嘉祥寺と号しました。
これが毛越寺の始まりということです。

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毛越寺(2)本堂

平成6年に、基衡、秀衡の時代の平安様式を手本に建てられたお堂。本尊は平安時代の作といわれる薬師如来で、両脇には日光、月光両菩薩を安置している。

新しいお堂だけに朱色が鮮やかでした。C_48

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