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2005年10月 1日 (土)

満福寺(3)

一の谷、屋島、壇ノ浦と手柄を立て、鎌倉」へ凱旋しようとした義経は、頼朝の使者により、鎌倉への玄関口である腰越で足止めを食らいます。政治方針の違いで、頼朝の怒りを買った義経は、兄の信頼を取り戻そうと、腰越の満福寺で兄への思いを腰越状をしたため、公文所別当の大江広元に差し出します。しかし、頼朝の怒りを解くことはできず。義経は鎌倉入りを許されずに京に帰っていくのでした。

この腰越状は、満福寺のショーケースの中で見られます。これは弁慶が下書きをしたともいわれています。bb 

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源義経」カテゴリの記事

コメント

腰越状、本物ですか。本物なら国宝ですね。
歴史上の出来事が証明されるのですね。

こうしてしずかさんの書いてくださる説明文と写真で本当に舞台の裏までよく判りますね!

腰越状を認めている映像は予告編でしたね。
ああいう風に流れるように文字が書けたら良いですね・・・
明日を楽しみにします。

そうだ・・明日「腰越状」が放映されるのでしたね。
頑張ってHP作らなくっちゃ・・

しずかさん、この写真撮りにくかったでしょ?
蛍光灯が光って、どの角度から撮っても全部光が入りました。

ラメールさんへ
満福寺には、腰越状版木が残っていて、江戸時代、義経主従の哀話が庶民の間で有名になり、お寺の参拝客のために腰越状を印刷して配ったそうです。
腰越状については、真偽は不明とか、脚色が施されているのではないかと書いてある本もあります。、

明日、この場面がどのように描かれるか楽しみです。
merryさんは上手く写真撮れましたか?
私の写真では蛍光灯の反射で字がわかりませんね。

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