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2005年10月17日 (月)

赤間神宮(5)

境内には8歳で関門海峡に入水された安徳天皇の墳墓があります。(写真左)安徳天皇の遺体は、合戦の翌日、漁の網に引き上げられ、安置された後、葬られたといわれています。

私はこの絵と同じ絵馬を買いました。 (写真右)b b

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安徳天皇」カテゴリの記事

コメント

わずか8歳で死ななければならなかった幼い安徳天皇の行き場の無い気持ちが、固く閉じられた門に象徴されているような感じがしますね・・・
昔はこういう一門の犠牲になる出来事が多かったですが・・・

観光バスで説明していただいたガイドさんのお話によると、安徳天皇の身代わり説として、ある寺の高僧の息子さんが犠牲になったというのもあるそうです。

関門海峡の深さはどのくらいあるのでしょうか。
安徳天皇の身代わり説、大河でもありましたね。天皇は生きている説は根強いものがありますね。

ラメールさん、水深について調べてみました。
一番深いところで、水深47mあるそうですよ。

安徳天皇のいろんな伝説があるのですね。
大河ドラマでは、弟の親王が身代わりに
なっていましたが、上のコメントを見ると
高僧の子息が身代わりになったとか。
タイムカプセルがあったらなぁ。

身代わり説は大河ドラマだけの話かと思ってました。古くからあるものなんですね。
ただ、一つ質問・・
高僧の子息とありますが、僧が妻帯するようになったのは鎌倉時代からではないのですか?
大河ドラマのなかでも、弁慶の妻が出てきますが、私は???です。

くまさん、こんばんは!
身代わり説はもっとたくさんあるようです。
村人に育てられた説もかなり根強いと言っていました。
私もタイムカプセルに乗って平安時代を見てみたいです。

merryさん、ナイスつっこみ!!(笑)
800年前、親鸞聖人が31歳で、肉食妻帯の禁を犯す以前から(奈良時代頃から)そういう僧侶もいたそうです。

山口県は源平古戦場の辺りには行ったこtとがありません。
写真を拝見しています。見るところが沢山ありますね。和布刈公園の陶板は見事です。

kenさん、こんにちは!
せっかく遠くまで足を延ばしたのだから、もっとのんびりした滞在にすればよかったな~と後悔しています。この公園からの関門海峡の景色も見事でした。

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