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2005年10月

平重衡捕われの松

生田から逃げてきた平重衡は、源範頼の配下に捕らえられました。重衡は、松の根に腰をおろして次の歌を詠みました。

ささほろや波ここもとを打ちすぎて須磨でのむこそ濁酒なれ

現在は、松はなく、須磨寺駅付近に碑と祠があります。b b b

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須磨寺駅

9月に須磨寺へ行った時のレポートです。須磨寺駅に着くと、ここも義経ファン歓迎ムードでした。駅構内には、「義経」のポスターガ貼られ、改札口には、義経スタンプラリーのパンフレットが置かれ、駅から須磨寺へ続く須磨寺商店街には義経の旗が見られました。 C_46 C_47

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下関観光のルート

下関・門司観光には関門周遊パスポートを使いました。1400円で、下関と門司の路線バス、関門汽船(往復)に乗ることが出来、パスポートノ提示で、各施設の割引を受けることが出来ます。(このパスポートでレトロめかり周遊バスにも乗車出来ます)主な観光スポットは、

下関駅(大歳神社)~唐戸(海峡館、カモンワーフ、唐戸市場、唐戸桟橋、旧英国領事館)~赤間神宮前(赤間神宮、日清講和記念館)~みのすそ川(みもすそ川公園、関門トンネル人道入り口)~マリンランド(マリン温泉パーク)~前田(平家の一杯水)~松原(豊功神社、長府庭園)~城下町長府(国宝功山寺、乃木神社、長府博物館、長府毛利邸)

*みもすそ川から火の山山頂へ行くバスは一時間に一本出ています。

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レトロめかり周遊バス

今回、私が門司の観光に使った「レトロめかり周遊バス」のルートです。一日フリー切符は300円で、9~16時まで、一時間に一本運行されています。

1.門司駅(ネオ・ルネッサンス様式の木造建築の九州最古の駅)

2.レトロ展望室(高層マンションの31階に門司レトロ展望室があります)

3.ノーフォーク広場(目の前に関門海峡が広がり、関門橋のビュースポット)

4,めかり山荘(めかり公園に建つ国民宿舎)

5.めかり第二展望台(壇ノ浦合戦の模様を描いた有田焼のレリーフがあります)

6.関門トンネル人道口(下関と門司を結ぶ関門海底国道トンネル)

7.和布刈公園前(近くに和布刈寺神社があります)

8.甲宗八幡宮(知盛のお墓があります)

9.レトロ桟橋通(レトロの雰囲気が漂う街)

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甲宗八幡神社(2)

境内には、平知盛の墓と伝えられる石塔があります。墓は甲宗八幡神社が鎮座する筆立山にありましたが、昭和28年の大水害の時に流され、拝殿裏に傾いたままであったのを、ここに再祀し たそうです。

源氏ゆかりの神社に知盛の墓があるとは奇妙なものです。b

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甲宗八幡神社(1)

860年、清和天皇が創建。神功皇后が三韓を征した時に着用したと言われる甲が御神体。50年に一度公開され、次回の公開は平成20年。寿永4年(1185年)、源平の戦い後、範頼、義経兄弟は戦いで荒れた社殿を再建した。(「義経に出逢う旅」より)

甲を御神体とすることで、「甲宗」という名がついたのですね。50年に一度の御神体拝観の儀は、2008年、御鎮座千百五十年大祭にて。ぜひとも見てみたいです。

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和布刈神社(3)

和布刈神社は、九州最北端に位置し、関門橋のほぼ真下にあります。目の前には関門海峡が広がり、和布刈神社から続くめかり観潮遊歩道を歩けば、対岸の下関の景色を眺めることも出来ます。また近くには関門人道入り口もあり、歩いて下関へ渡ることも出来ます。   

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和布刈神社(2)

壇ノ浦合戦前夜、神宮橘魚彦による祝詞と神酒で平家が戦勝を祈願し、一門の願文を奉上したといわれています。(新平家物語より)

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和布刈神社

毎年、旧暦元旦の夜中に狩衣姿の神官が松明、手桶、鎌を持って海に入り、岩のワカメを刈り取り、神前に供えます。この和布刈神事は、新年の予祝行事としても有名で、1200年の歴史があります。  

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満珠・干珠

神功皇后が龍神から授けられた二つの珠(満つる珠、干つる珠)から生まれたという伝説の島で、忌宮神社の飛地境内にあたります。原生林に覆われた島は、天然記念物に指定されていますが、残念ながら観光客が島に入ることはできないそうです。

壇ノ浦合戦では、源氏の軍船がこの島周辺に集結しました。義経とって、壇ノ浦合戦は初の水戦であり、水戦が苦手な東国の兵を率いていました。また、敵地の地理や水路についての情報に疎かったため、長府串崎の漁師たちから関門海峡の潮流の知識を得て、串崎船12隻を徴発し、自らこれに乗り込みました。(「義経に出逢う旅」より抜粋)

なお、陸地に近い方(写真左)が干珠、沖にあるのが(写真右)満珠という説もあるそうですが一般的には、どちらも区別せずに両方の島を指して、「満珠・干珠」ということが多いそうです。私は、門司側から撮りましたが、豊功神社からの眺めが絶景といわれてます。

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壇ノ浦合戦壁画(3)

安徳帝と二位の尼b

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壇ノ浦合戦壁画(2)

壁画をアップで撮ってみました。源平合戦の様子が細かく描かれています。

義経八艘飛び b      

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壇ノ浦合戦壁画(1)

門司の和布刈公園には、有田焼の陶板1440枚による長さ44mの壁画があります。1b 2b 3b 5c_2

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関門海峡

満潮時には瀬戸内海・周防灘の潮位が、干潮時には日本海・響灘の潮位が高くなるため、一日に4回潮流が逆転します。一日に約700隻もの舟が行き来し、汽笛の音が海に響きます。環境省の「残したい日本の音風景百選」に選ばれたのも頷けます。

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赤間神宮(5)

境内には8歳で関門海峡に入水された安徳天皇の墳墓があります。(写真左)安徳天皇の遺体は、合戦の翌日、漁の網に引き上げられ、安置された後、葬られたといわれています。

私はこの絵と同じ絵馬を買いました。 (写真右)b b

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赤間神宮(4)

芳一堂の横には平家一門之墓として平家の武将や郎党のお墓が並んでいます。知盛、教盛、などの武将7人の名があることで、七盛塚と呼ばれるのでしょうね。江戸時代、付近に散在していた墓標をまとめたといわれています。1b 2b

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赤間神宮(3)

境内には盲目の琵琶法師・耳なし芳一の木像が安置されています。

7月15日には耳なし芳一を供養する「耳なし芳一祭り」が催され、芳一堂の前で墓前祭、琵琶の演奏が行われます。1b 2b

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赤間神宮(2)

海に沈んだ安徳帝を祀る本殿は、竜宮を表しています。

「源平盛衰記」によると、後白河天皇から海に沈んだ三種の神器のひとつである宝剣を探すように命じられた義経は海人に潜らせて探させたが見つからず、次のように報告しました。海底には龍宮城があり、その奥に安徳帝を抱いた大蛇がいて宝剣をくわえていた。これは龍宮城の宝物だから渡すことはできないと。

赤間神宮が竜宮城の形をしているのは、こんなエピソードを含んでいるのかもしれません。3b 6c_5 5c_1  

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赤間神宮(1)

壇ノ浦の合戦から間もなく、安徳帝が沈んだ関門海峡のほとりに阿弥陀寺というお寺が建てられましたたが、明治になって赤間神宮となり、安徳天皇を祭神としていますb2b 11c_2

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みもすそ川公園(3)

公園には安徳帝御入水之碑(平清盛の妻・時子は孫の安徳帝を抱き、海へと身を投げました)が、公園近くの旅館の庭には、安徳天皇と二位尼時子の像があります。b 1b

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みもすそ川公園(2)

義経像、知盛像の前には、義経役の滝沢秀明さん、平資盛役の小泉孝太郎さんの手形があります。

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みもすそ川公園(1)

壇ノ浦古戦場を見渡せるこの公園には、八艘飛びの義経像と碇をかついだ平知盛像があります。

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平家の一杯水

壇ノ浦の合戦で深手を負い、命からがら泳ぎ着いた平家の武将がのここで湧き水を見つけ、飲んでみると真水であった。が、もう一口飲んでみると塩水になっていた。という伝説の場所です。1b 2b b

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大歳神社(3)

義経をモチーフにした必勝勝守(かちまもり)を買いました。2b

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大歳神社(2)

義経は有明山に富士の小松を植え、富士浅間の大歳神を祀り、弓矢を神前に捧げた。その後、祈念を注いだ桑の弓矢を平知盛の率いる平家軍に射込んだために、驚いた平家軍は壇ノ浦に進んだが、源範頼軍と義経軍との挟み撃ちに合い、滅亡したという。(お寺のご由緒より)

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大歳神社(1)

JR下関駅から徒歩4分の大歳神社へ行って来ました。ここは、義経が必勝祈願をした地に建てられたという神社です。104段の階段を上ると本殿が見えてきます。b 1c_8

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満福寺(7)

襖絵の部屋と反対側の部屋には、笹竜胆の紋の入った胴丸、境内には、鐘楼や阿弥陀如来像などがありました。b b b b

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満福寺(6)

天井には龍の鎌倉彫の絵がありました。目が生きているようです。b

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満福寺(5)

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義経との子を取り上げられる静

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静の舞

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義経を追う静

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静との別れ

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満福寺(4)

本堂に入ると、鎌倉彫の見事な襖絵を見ることが出来ます。b           

腰越状をしたためる義経

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東下り

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弁慶立ち往生

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満福寺(3)

一の谷、屋島、壇ノ浦と手柄を立て、鎌倉」へ凱旋しようとした義経は、頼朝の使者により、鎌倉への玄関口である腰越で足止めを食らいます。政治方針の違いで、頼朝の怒りを買った義経は、兄の信頼を取り戻そうと、腰越の満福寺で兄への思いを腰越状をしたため、公文所別当の大江広元に差し出します。しかし、頼朝の怒りを解くことはできず。義経は鎌倉入りを許されずに京に帰っていくのでした。

この腰越状は、満福寺のショーケースの中で見られます。これは弁慶が下書きをしたともいわれています。bb 

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