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2005年10月22日 (土)

満珠・干珠

神功皇后が龍神から授けられた二つの珠(満つる珠、干つる珠)から生まれたという伝説の島で、忌宮神社の飛地境内にあたります。原生林に覆われた島は、天然記念物に指定されていますが、残念ながら観光客が島に入ることはできないそうです。

壇ノ浦合戦では、源氏の軍船がこの島周辺に集結しました。義経とって、壇ノ浦合戦は初の水戦であり、水戦が苦手な東国の兵を率いていました。また、敵地の地理や水路についての情報に疎かったため、長府串崎の漁師たちから関門海峡の潮流の知識を得て、串崎船12隻を徴発し、自らこれに乗り込みました。(「義経に出逢う旅」より抜粋)

なお、陸地に近い方(写真左)が干珠、沖にあるのが(写真右)満珠という説もあるそうですが一般的には、どちらも区別せずに両方の島を指して、「満珠・干珠」ということが多いそうです。私は、門司側から撮りましたが、豊功神社からの眺めが絶景といわれてます。

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義経ゆかりの地を訪ねて」カテゴリの記事

コメント

そうなんですか・・・
義経は潮流が今回の戦いの要になる事を予測して予め知識を得て戦いに備えたわけですね・・・

門司側からとは、山の上からでも写せたのですか。写真から義経が陣を構えたのが想像できますね。豊功神社から写したのを近々アップします。
壁画の紹介ブログとして22日の記事にリンク貼らせていただきました。

この写真は、めかり展望台に向かうバスの中で写しました。島が遠すぎてよくわかりませんね。ラメールさんは、豊功神社まで行かれたのですね。写真楽しみにしています!

やっちゃんさん、訪問ありがとうございます。
ある程度の知識と情報を得ていたからこそ戦の場で冷静かつ的確な判断が出来たのではないかと思います。

屋島の合戦からわずか一ヶ月でそれだけの知識と情報、そして舟を集めた義経は、やっぱりすごいと思います。

そうですね。やはり戦の天才と称しても過言ではないでしょう。

しずかさん、こんにちは。
昔の時代、情報を得るのは、
大変な仕事だったのでしょうね。

今なら、ネットでどんな情報も瞬時に
得られるので、ありがたいですが、
昔は時間と手間をかけていたんでしょうね。

私もそう思います。
私自身、メールをやるようになってからほとんど手紙を書かなくなりました。昔は「手紙を書いて、郵便局で切手を買い、投函する」が当たり前のことだったのに、それすらも手間に思えます。人間、いったん楽になると逆戻りするのは難しいですね。

満珠・干珠って、地元では2つで一組だったのですね。
いつか船に乗ってこの島まで行き、義経の気分を味わってみたいです。

私はずっと別々に名前がついていると思っていました。もし、また行く機会があれば、豊功神社からの絶景を写してみたいです。

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