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2005年11月14日 (月)

須磨寺(13)敦盛卿首塚

直実に切り取られた敦盛の首が納められてるという。

「人手にかけ参らせんより、同じくは直実が手にかけ参らせて、後の御供養をこそ仕候はめ」と直実が告げると、敦盛は「ただとくとく頸をとれ」と言った。

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コメント

この時代は、首塚と胴塚の二つある事が多いですね。
それも、明治維新の頃まで続くのだから、本当に日本は野蛮な国だったのですね~
いい時代に生まれて良かった。

私もそう思います。
首と胴がバラバラでは浮かばれませんよね。
平安時代には憧れもありますが、こういうことが普通に行われた時代でもあったのですね。

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