« 須磨寺(6)平敦盛 | トップページ | 須磨寺(8)小石人形舎 常盤と平家 »

2005年11月 8日 (火)

須磨寺(7)源平の庭

一の谷での平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した庭で、馬上から扇をかざして呼び止める直実と、それに振り向く敦盛の姿がリアルに表現されています。これらの像だけは、震災の時にも壊れなかったそうです。 1b

|
|

« 須磨寺(6)平敦盛 | トップページ | 須磨寺(8)小石人形舎 常盤と平家 »

コメント

イケメン敦盛とオヤジ直実の対決では、オヤジの勝ち。
いつの時代も色男には、力は無かったのですね。敦盛最後の言葉「名乗らずとも首を取って人に問え。見知る者もあるだろう」享年17歳

投稿: ラメール | 2005年11月 8日 (火) 01時06分

ラメールさん、訪問ありがとうございます。
若干17歳でこの言葉が出るとは、潔いというか武士として立派というか・・・直実もさぞ辛かったでしょう。

投稿: しずか | 2005年11月 8日 (火) 11時26分

系図を見ると、敦盛には経正と経俊という兄がいたようだけど、どこで死んだのでしょうね。
同じ兄弟でも随分「知名度」が違いますね。

投稿: merry | 2005年11月 8日 (火) 12時09分

二人とも1184年、一の谷の合戦で討ち死にしています。経正は琵琶の名手で、父の経盛とともに平家歌壇の中心人物ででした。この琵琶塚のついてはラメールさんのHP「清盛塚・琵琶塚」のところで取り上げられています。
経俊は亡くなった時、18歳とありますから、敦盛の一つ上の兄だったのですね。

投稿: しずか | 2005年11月 8日 (火) 14時13分

しずかさんはよくお勉強されてますね。
感心します。
経正、経俊、敦盛と、きっとイケメン3兄弟だったのでしょうね。

投稿: merry | 2005年11月 8日 (火) 15時09分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/127330/6892741

この記事へのトラックバック一覧です: 須磨寺(7)源平の庭:

« 須磨寺(6)平敦盛 | トップページ | 須磨寺(8)小石人形舎 常盤と平家 »