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2005年11月 8日 (火)

須磨寺(7)源平の庭

一の谷での平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した庭で、馬上から扇をかざして呼び止める直実と、それに振り向く敦盛の姿がリアルに表現されています。これらの像だけは、震災の時にも壊れなかったそうです。 1b

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コメント

イケメン敦盛とオヤジ直実の対決では、オヤジの勝ち。
いつの時代も色男には、力は無かったのですね。敦盛最後の言葉「名乗らずとも首を取って人に問え。見知る者もあるだろう」享年17歳

ラメールさん、訪問ありがとうございます。
若干17歳でこの言葉が出るとは、潔いというか武士として立派というか・・・直実もさぞ辛かったでしょう。

系図を見ると、敦盛には経正と経俊という兄がいたようだけど、どこで死んだのでしょうね。
同じ兄弟でも随分「知名度」が違いますね。

二人とも1184年、一の谷の合戦で討ち死にしています。経正は琵琶の名手で、父の経盛とともに平家歌壇の中心人物ででした。この琵琶塚のついてはラメールさんのHP「清盛塚・琵琶塚」のところで取り上げられています。
経俊は亡くなった時、18歳とありますから、敦盛の一つ上の兄だったのですね。

しずかさんはよくお勉強されてますね。
感心します。
経正、経俊、敦盛と、きっとイケメン3兄弟だったのでしょうね。

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