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一の谷から海岸沿いに続く松林の中に、須磨浦公園があり、公園の東に、一の谷の激戦を物語る石碑が建っている。山からの逆落としも含め、三方から源氏に攻められた平家は大敗を喫した。
須磨寺にはわらべ地蔵、六地蔵菩薩、親子地蔵などいろいろなお地蔵さんがあります。
きんぽとん童子の「きんぽとん」とは、金=金太郎、浦=浦島太郎、敦=敦盛の3人の名前を合わせたものです。敦盛ゆかりの童子ということで載せました。
大師堂の入り口近くに結縁数珠という大きな数珠があります。
「手を触ってお大師様とご縁を結んで下さい。力に自信のある人は首に自信のある人は首にかけて見てください。肩こりに効きます。」(説明より)
見ザル、言わザル、聞かザル、怒らザル、見てごザル
三重塔への参道に五猿がありました。頭を撫でると手が動きます。
亀の背中に乗った七福神を回しながら拝みます。亀の背中に乗っても構いません。七福神の上には乗らないで下さい。(バチが当たります。)これも源平の庭の奥にありました。
須磨寺には、源平史跡の他にも面白いものがいくつかあります。源平の庭の奥には、ぶじかえるというカエルの像がありました。その説明によると、「ビックリしたい人は目玉を回してください。借金に困っている人は首を回して下さい。」 実際やっている人は見かけませんでしたが。(笑)
宝物館には、敦盛公の像、鎧、釣灯籠が展示されています。平家物語には、敦盛最期の装束を、「練貫に鶴の縫と取りをした直垂に、萌黄匂(もえぎにおい)の鎧を着て、鍬形を打った甲の緒を締め、黄金作りの太刀をさし」と表しています。
納骨堂の前に、敦盛の最期を歌った小学唱歌「青葉の笛」の音楽碑と、一音ずつボタンを押すと曲が流れるキーボードがあります。楽譜のリズムに合わせてボタンを押してみたら、とてもせつないメロディーの曲が流れてきました 。
宝物館には、敦盛が愛用した青葉の笛が展示されている。この笛は、天竺の竹でつくられ、最期のときに身につけていたという。敦盛は陣中でも笛を吹き、敵味方を感激させた。これは、伊勢三郎義盛が寄進したといわれている。
一の谷の合戦で、弁慶が安養寺から長刀の先にかけて担いできたといわれている。鐘楼の鐘は、一の谷合戦800年記念に作られたレプリカで、実物は宝物館にある。
宝物館にある鐘 鐘楼
納経所の壁画に、からくり時計が設置されています。私が到着した12時にタイミングよく作動してくれました。須磨寺にゆかりの、敦盛、玉織姫、開祖聞鏡上人、在原行平、松風村雨、義経、弁慶、直実、そして巡礼さんが、小坊主の読経と一絃琴のメロディーに会わせて登場します。
直実に切り取られた敦盛の首が納められてるという。
「人手にかけ参らせんより、同じくは直実が手にかけ参らせて、後の御供養をこそ仕候はめ」と直実が告げると、敦盛は「ただとくとく頸をとれ」と言った。
義経腰掛の松の前には、敦盛卿首洗の池があります。ここで、直実が敦盛の首を洗ったとされています。
直実は首をとった後、「あはれ、弓矢とる身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生れずは、何とてかかるうき目をばみるべき。なさけなうもうち奉るものかな」と嘆き、袖を顔に押し当ててさめざめと泣いた。(「平家物語」より)
義経が腰をかけて、敦盛の首実検をしたと伝えられる。その光景を見て誰もが涙を流したという。直実は無情を感じ、こののち仏門に入った。
現在の本堂は、1602年に豊臣秀頼が再建したもので、開創当時は、在原行平が参籠して勅勘を許されたと伝えられています。内陣の宮殿は、1368年建造の重要文化財で、中に本尊の聖観音菩薩や、毘沙門天、不動明王を祀っています。
源平ゆかりの寺社をバックに源平合戦の模様を表しています。
赤間神宮 厳島神社 須磨寺
自然の小石を使った小石人形200点が展示されています。その中には源平合戦の情景を表したものもありました。
常盤御前 平家
一の谷での平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した庭で、馬上から扇をかざして呼び止める直実と、それに振り向く敦盛の姿がリアルに表現されています。これらの像だけは、震災の時にも壊れなかったそうです。
平経盛の息子。笛の名手であり、平家の若者の中で最も美しいと評判であった。祖父の忠盛が、鳥羽上皇から賜った「小枝」という笛を、熊谷直実に討たれた時も身につけていたといわれている。
武蔵国熊谷郷の豪族の出身。保元・平治の乱では源氏方であったが、義朝の死後は一時、平家に仕えた。頼朝挙兵後は、再び源氏方につく。一の谷合戦では、息子の直家と同じ年の平敦盛を泣く泣く討ち取った。その後、法然のもとで出家し、高野山に熊谷寺を建立し、敦盛を弔った。頼朝からは、「日本一の剛の者」と賞賛されていたという。
仁王門をくぐって右側には、弘法岩五鈷水、千手観世音菩薩像、弘法大師像などがあります。
桜寿院の右側には蕪村の句碑があります。
笛の音に波もよりくる須磨の秋
蕪村以外には、芭蕉、正岡子規や尾崎放哉の句碑がありました。
桜寿院は、塔頭三院の一つで、本尊は阿弥陀如来。平成7年に阪神大震災で倒壊しましたが、平成13年に再建されたそうです。
真言宗須磨寺派の大本山。仁和二年(886年)、聞鏡上人が和田岬で引き上げられた聖観音像を須磨に移したのが始まりといわれています。
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