法住寺(2)
現在の法住寺は、後白河天皇の御陵(法華堂)をお守りするために建てられました。
この法住寺殿は、天皇の年頭の挨拶が年々行われ、特に皇子の高倉天皇はよく行ったそうです。また、高倉天皇の中宮である平清盛の娘・平徳子(後の建礼門院)はこの御所から入内しました。後白河上皇は、清盛に法住寺殿域内に蓮華王院を造営することを命じ、1164年に本堂が落成しました。三十三間堂は後白河上皇の法住寺内の御堂であったわけです。1183年、清盛が亡くなってから2年後、木曽義仲に法住寺殿が襲われてからは、法皇は西洞院の六条殿に長講堂を建てて遷られました。しかし、この御殿も長講堂も1188年に焼失し、1192年、66歳で法皇は崩御されました。
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広い庭園が綺麗に管理されているのがよく判りますね!
後白河法皇と聞いて平幹二郎(字が違うかも?)のにっくき顔が浮かんできます。・・・
投稿: やっちゃん | 2005年12月22日 (木) 11時27分
やっちゃんさん、雪で大変なのですね。
お忙しいところ、訪問ありがとうございます。
ここの庭園はこじんまりしていて、とても落ち着きます。大河での法皇様は強烈なキャラでしたね。
投稿: しずか | 2005年12月22日 (木) 11時34分
いや~毎日本当に感心するだけよ~
毎番歴史の授業受けてるみたいよ先生・・
でも楽しいよ(^-^)
私の傍に歴史の好きな方がいますので
貴女を紹介しましたよ・・ごめんなさいいね
怒るなよ・・また酒でも・・
投稿: ひろしです~ | 2005年12月22日 (木) 19時37分
「新平家物語」にたびたび「法住寺殿」が出てきていたように記憶しています。
ここにあったのですか。今もあるとは思ってもみませんでした。
大河での後白河法皇と丹後局は面白かったですね。
あの独特なキャラは夢に出てきそうです。
投稿: merry | 2005年12月22日 (木) 21時28分
ひろしさん、ありがとうございます。
史跡めぐりはもう趣味のひとつになりました。勉強と思っていないので楽しいですよ。
投稿: しずか | 2005年12月22日 (木) 22時51分
merryさん、現在の法住寺は、法住寺殿跡に建てられたそうです。三十三間堂付近には、法住寺、養源院、国立博物館・・・などが固まってあるのですね。
投稿: しずか | 2005年12月22日 (木) 23時04分
ドラマに出てこない後白川法皇の一面を教えてもらいました。ここは庭が美しいようでえすね。源平に関係の深い建物なのですね。
投稿: ラメール | 2005年12月23日 (金) 00時02分
ラメールさん、こんばんは。
ここでは、ご住職の説明を聞かせていただいたり、お庭を観賞したりして、結構時間を費やしました。
投稿: しずか | 2005年12月23日 (金) 00時40分
しずかさん、こんにちは。
法住寺は、四十七士で有名なところで、
毎年12月14日は、義士祭が行われている
寺ですが、後白河法皇の御陵を守られるために建立されたとは知りませんでした。
投稿: くま | 2006年1月 2日 (月) 14時37分
くまさん、こんにちは。
今回も知らなかったことをたくさん得ることが出来ました。今年も京都へできるだけ出かけたいと思いますので、情報よろしくお願いします。
投稿: しずか | 2006年1月 2日 (月) 16時45分