法住寺(5)四十七士木像
山科に潜伏していた大石内蔵助は、法住寺の身代わり不動尊に詣でて、仇討の成功を祈願しました。また同士との連絡、会合の場所にもなっていたことから、木像が安置されることになりました。
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山科に潜伏していた大石内蔵助は、法住寺の身代わり不動尊に詣でて、仇討の成功を祈願しました。また同士との連絡、会合の場所にもなっていたことから、木像が安置されることになりました。
法住寺は身代り不動明王像が有名で、信者の方からは「身代りさん」と呼ばれています。木曽義仲が御所に攻め入った時、当時の明雲大僧正が敵の矢に倒れ、法皇様は難を逃れることが出来ました。そのことから、ここのお不動様が災難から身代りとなって護ってくださると信じられています。
現在の法住寺は、後白河天皇の御陵(法華堂)をお守りするために建てられました。
この法住寺殿は、天皇の年頭の挨拶が年々行われ、特に皇子の高倉天皇はよく行ったそうです。また、高倉天皇の中宮である平清盛の娘・平徳子(後の建礼門院)はこの御所から入内しました。後白河上皇は、清盛に法住寺殿域内に蓮華王院を造営することを命じ、1164年に本堂が落成しました。三十三間堂は後白河上皇の法住寺内の御堂であったわけです。1183年、清盛が亡くなってから2年後、木曽義仲に法住寺殿が襲われてからは、法皇は西洞院の六条殿に長講堂を建てて遷られました。しかし、この御殿も長講堂も1188年に焼失し、1192年、66歳で法皇は崩御されました。
10:30サンポート高松(JR高松駅前)~高松平家物語歴史館~与一コース(源平や島合戦展望台、屋島寺・宝物館、獅子の霊厳、屋島山上水族館)または静コース(四国村、わらや)~源平屋台合戦史跡めぐり(洲崎寺、駒立岩、祈り岩)~15:00サンポート高松
私は「与一コース」を選び、屋島のボランティアガイドさんに案内していただきました。(このブログへ遊びに来てくださる「屋島のガイドさん」です。
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