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2005年12月20日 (火)

佐藤継信・忠信の塚

馬町の路地裏にある馬町十三重塔の旧所在地には、佐藤継信・忠信の墓の石碑が残っています。2b1b (佐藤継信・忠信の塚の石碑の横を入ったところに、墓の石碑があります。)

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佐藤継信・忠信」カテゴリの記事

コメント

佐藤兄弟の塚が、京都にあったなんて
知りませんでした。
馬町には時々通るところなんですが・・・。
京都にいながら、お恥ずかしい。
京都に住んでいても結構知らないところが多いです。
今、ブームになっている京都検定を受ける勉強をしようかな?

民家の建て込んだような場所にひっそりと建っているのですね・・・
しずかさん、よ~く調べましたね!

くまさん、やっちゃんさん、こんにちは。
これは本で調べて知りました。
バスの停留所を降りて、辺りを見回したのですが、それらしきものは見当たらず、通りすがりの方を数人つかまえて聞きました。
地元の方でもご存知ないかもしれませんね。
京都検定、興味あります!

こんにちは~(^-^)

いい天気ですよ・布団干しに最高です・・

私今までメールアドレスとプログアドレス

勘違い(大笑)今気がつきましたよ・・

しずかさんは国どちら?

私は香川県ですよ・・

いや~本当に皆さんには感動しますよ

私は今「吾妻鏡」を読んでいます。
それによると・・
「中御門東洞院において、同家人忠信を誅す」とあります。
この「中御門東洞院」が馬町かと思ったのですが、ちょっと違ったようです。

私もいろいろ調べて探求するのが好きです。

ただいま~
今夜プログ仲間と(私は未熟児の・・)
忘年会したよ(4人参加)楽しい時間すごしました・・またいつか・・・酒飲みましょうね(^^)

ひろしさん、忘年会お疲れ様!
香川県人の飲み会、いつか参加してみたいです。ブログ仲間と実際会うことが出来たら楽しいでしょうね。
浜松は今日も少し雪がちらつきました、

merryさん、もう次の読書に取り掛かっているのですね。私も「義経記」は読み終わったので、「平家物語の舞台を行く」という本を読んでいます。
「中御門東洞院」は「なかのみかどひがしのとういん」という読みでいいのでしょうか?ややこしいですね。中京区にあるのかな?

京都の「佐藤継信・忠信の塚」の謂れについてご存知の方はいませんか?お教え下さい。
当方「置賜佐藤家」長信の期に伊達宗遠に攻められ、とある地で永らえること625年、一族の再起をかけることに努めております。
平成18年12月20日AM9:30~10:00にこの塚を訪ねるつもりです。

忠信公末裔さん、はじめまして。

この塚の詳細はわからないのですが
昭和2年に佐藤政治郎という方によって
建立されたそうです。
また詳しいことがわかったらお知らせ
します。

しずかさん、ご回答ありがとうございます。
ぜひよろしくお願いします。

忠信公末裔様
詳細について、歴史に残されているいわれとは一部異なりますが、知っている範囲でお答えします。

ここは現在も、京都佐藤家の個人所有地です。
元々は奥の方にお地蔵様をお祀りしていて大変広い土地だったそうです。
(十三重の塔も以前はこちらにありました。)
佐藤家に代々いろいろな事が御座いまして、土地をどんどん手放さざるおえなくなっている事情が御座います。)
ですので、現在は、土地を所有していても、管理が出来る状態ではなくなっております。

このお墓、盛り土をしている部分が、忠信殿の首から下のお体が埋まっております。
(堀川の屋敷で、自害された時、首は鎌倉へ送られ、鶴ヶ岡八幡宮の一の鳥居に晒された後、勝長寿院に埋められたそうですが、その場所はわかっていません。)

旧暦1185年11月20日一行と別れ、21日追っ手を退け、吉野山を降りてから、12月6日堀川屋敷に立て篭もり、12月7日に屋敷が炎上、同日落命。12月8日に世間に知られた後、ご遺体をご縁のある僧の方に引き取られ、この地に埋葬されております。
(その方が、佐藤のご一族だったかどうかは、わかりませんが、どちらかに記載があると思います。)継信殿の方は、多分、御しるしなどが埋まっているかもしれません。

残念なのは、現状土地権利者に断りも無く、墓を跨いで柵を建てられ、それが朽ちて盛り土の真上に覆い被さっている状態です。
(何とか解決をして差し上げたいのですが、血縁者では無い為、手の施しようが御座いません。)
ただひとつ、救われる事は、佐藤殿の故郷から引っ越してこられた隣地の方に墓守をしていただいている事でしょうか。

その様な現状であります。

もし、もっと詳しい事などお聞きになりたいのであれば、私のHPから連絡が取れるようになっております。
(宜しければお越しくださいませ。)

義経

義経さま、佐藤維信・忠信の塚についての詳細を教えていただきまして
ありがとうございます。
そんな経緯があったのですか。
ここを訪れた時、佐藤兄弟ともあろうものの史跡とは思えぬ
さびれた感があり、残念に思いました。
当ブログの記事に補足があったらまた教えてくださいね。

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