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2006年1月 9日 (月)

祇王寺(1)祇王と仏御前①

仏御前にその座を奪われた祇王は、母と妹の祇女とともに出家し、嵯峨の庵に移り住みました。後に、祇王と同じような運命をたどることを恐れた仏御前もこの寺に出家し、4人で共に余生を送りました。 2_c_4 3c_6 1_b

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祇王・祇女・仏御前」カテゴリの記事

コメント

神戸にも「妓王と妓女」の墓があります。
あるところは、築島寺です。
ここを訪れたときは、それほど関心がなかったのですが、小松市の仏御前の墓に行って関心がでてきました。
嵯峨野で生活をしたとありましたがそれがここなんですね。

祇王から愛妾の座を奪った仏御前も同じ運命を辿る事を恐れ → → 二人とも心優しい、そして賢い女性だったのですね。

ラメールさん、コメントありがとうございます。
私はラメールさんの北陸の史跡の記事を見て興味が湧きました。ぜひ神戸や北陸の史跡にも行ってみたいです。

やっちゃんさん、おはようございます。
二人とも清盛に翻弄され、最後は同性どうし、共感し合えたということなのでしょうね。

史跡めぐり時間の許す限り訪れ
愉しんで下さいね(^^)
目的は多少違うけど旅好きなのは同じかな?
楽しみにしていますよ・

ヒロシさん、こんばんは。
旅好きは同じですね。和倉温泉情報、楽しみにしていますよ!

祇王の出生地は私の住む守山市の隣、野洲市です。ここにも「祇王寺」があります。
水不足に困っている故郷の人たちのために清盛に頼んで水路を造って貰い、それが後の世まで大変役にたったという言い伝えがあります。今もその川があるそうです。

話は変わりますが、今日高校サッカーで優勝した「野洲高校」はこの野洲市にあります。
滋賀県人としてとっても嬉しい快挙です。

merryさん、野洲の祇王寺の情報ありがとうございます。いつか行ってみたいです。
祇王の史跡は、京都、野洲、小松で制覇できるのでしょうか?
それにしても、祇王は仏のような心を持った女性だったのですね。そのような方が、晩年は寂しい生活を送ったなんて・・・

サッカー優勝おめでとうございます。滋賀県はサッカーが盛んなのですか?

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