滝口入道と平維盛(2)
かつて維盛は、光源氏とも称されたほどの美男子で、宮中の女性の憧れの的であった。そんな維盛の変わり果てた姿に入道は驚いた。維盛は都落ちの際、一門のほとんどが妻子を伴ったのに対し、都に妻子を残してきたのだった。それは、家族を辛い目に遭わせたくないという気持ちから泣く泣くそうしたのであったが、周りの人々からは中傷され続けた。維盛は、入道に屋島を出た経緯、家族を今でも忘れられないと告げた。
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維盛ってそんなにイケメンだったのですか?当時の似顔絵とかありませんか?TVとかでは、誰がその役柄でしたか?!
投稿: シネマ大好き娘 | 2006年1月24日 (火) 05時35分
平家の中でも格別、美男だったようです。
大河では賀集利樹さんが演じました。
維盛の似顔絵は、武家百人一首、英雄百人一首にありますが、ハンサムに見えますか?
http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/syouzou/tk01/html/thumtk01.htm
投稿: しずか | 2006年1月24日 (火) 08時46分
維盛が都落ちするときに妻子の世話を頼んだ斉藤兄弟は斉藤別当実盛の子供です。
義経に佐藤兄弟あり、維盛に斉藤兄弟があった訳ですね。
投稿: merry | 2006年1月24日 (火) 10時28分
斉藤五郎・六郎兄弟ですね。
彼らは殺されたとされている、頼朝と八重姫の子供の千鶴丸を養ったという説がありますが、真実はどうでしょうか?
投稿: しずか | 2006年1月24日 (火) 11時03分
そーか!!アギトかーーー(^0^)
投稿: シネマ | 2006年1月24日 (火) 18時57分
エッ?千鶴丸が生きていたという説があるのですか?
初めて聞きました。
しかし、維盛が都落ちした時斉藤兄弟は兄が19歳、弟が17歳と平家物語には書いています。
千鶴丸の事件はそれより7年くらいさかのぼるので、斉藤兄弟が養うにはまだ幼すぎると思いませんか?
でも、実は生きていた・・と聞くほうが嬉しいですが。
投稿: merry | 2006年1月24日 (火) 20時34分
そうです。アギトです。
イケメンも役だから賀集くんが抜擢されたのかな?
投稿: しずか | 2006年1月24日 (火) 23時19分
そうですね。それでは歳が合いませんね。
とすると、この説の方が正しいでしょうか?
伊東祐親が斉藤兄弟に頼んで千鶴丸を甲斐源氏の辺見氏にかくまってもらった。これが那智の島津忠久である。ゆえに島津氏が頼朝の子孫といわれる所以である。
千鶴丸の危険を回避するために、祐親が轟きヶ淵に千鶴丸を沈めて殺したという噂を流した。
投稿: しずか | 2006年1月25日 (水) 00時07分
ずっと以前、山岡壮八の「源頼朝」を読んで以来、この伊東祐親は血も涙もない残酷な人だと思ってました。
やっぱり自分の孫だから、そんな無残な事は出来ないはずです。
どこかで匿われていたと考えるのが自然なような気がします。
ただ・・斉藤兄弟の父実盛は義仲を木曽に送り届けた人ですね。親も子も同じような事をしたのは偶然過ぎるような気がしますが。
投稿: merry | 2006年1月25日 (水) 10時45分
義経や安徳帝にしてもそうですが、死んだとされている歴史上の人物には必ず生存説がついてまわりますね。
投稿: しずか | 2006年1月25日 (水) 14時00分