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2006年1月15日 (日)

若一神社(4)大楠

若一神社の前には清盛お手植えとされる大きな楠の木があります。源氏軍が西八条邸に火を放った時、この楠だけは残ったそうです。その後、この楠を伐採したり、移しかえようとすると、祟りがあるとされ、ここに若一神社を建て、楠の木を大切にしてきました。昭和9年、京都市電が敷かれた際、西大路通りにも走ることになり、その時、楠を移そうとしましたが、相次ぐ工事関係者の事故、不幸により、断念したと書かれています。(京都市電は、市の地下鉄の開業に向けて、昭和53年に廃止されました)ゆえに、西大路通りはこの楠の木があるために迂回しています。9_b

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平清盛」カテゴリの記事

コメント

大楠の写真を撮ったので載せましたが、辺りが暗すぎてはっきりわかりませんね。

清盛の植えた楠が今もあって、影響力があるのですか。電車まで迂回をせねばならぬほど清盛は今も生き続けているのですね。
さすがに天皇の孫を持つだけの人ですね。

ラメールさん、深夜の訪問ありがとうございます。
この楠には清盛の怨念がこもっているのでしょうか?やはり清盛は大物ですね。

暗くてはっきりしませんがおぼろげながら大木だと推察出来ます。
よくそう言う話がありますね・・・
「何とかの祟り」・・・って言う話は現代に於いて科学的に証明されない限り、絶対に無いと言い切る学者が数多くありますが私はどちらかと言うと信じる方です。

年末に紅白の裏番組で毎年やっています。

私の母の実家に昔からある大木についても、似たような話を聞いたことがあります。誰かの怨念とかそういいう話ではありませんが、切ろうとすると植木屋さんが怪我をすると・・・
私は信じる派です。

樹齢800年余りというと、すごい大きな木なんでしょうね~
その間も、そしてこれからも「清盛」の威厳を放っているこの木は立派なものですね。

清盛像や大楠からも威厳を感じました。
「さわるとたたりがある」というと、そばに行くのも怖いくいらいです。

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