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2006年1月23日 (月)

滝口入道と平維盛(1)

ある日、平清盛の孫で、平重盛の長男である平維盛が入道のもとを訪ねて来た。

維盛は、富士川の戦いで、水鳥の羽音に驚き、戦わずして頼朝軍に敗退。これには清盛の怒りを買い、武将としての評価を落とした。倶利伽羅峠でも、木曽義仲軍に敗退。三草の戦いでは義経に敗退。一の谷の戦いには参加できず、その後、病のため屋島に残っていた。頼朝と通じているなどと嫌疑をかけられ、平家の中での信用をなくす。そこへ、平家軍大敗、一門の多くが討たれたとの知らせを受け、ついに屋島から逃亡する。向かった先は父・重盛に仕えていた入道がいる高野山であった。

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平維盛」カテゴリの記事

コメント

平維盛は清盛の嫡子の重盛の長男で平家一の色男と言われています。戦上手ではなく連戦連敗だったのですね。
入道のいる高野山に行ってどうしたかは、明日のお楽しみですか。

ラメールさん、コメントありがとうございます。
維盛&敦盛&義経でデビューしたら売れるでしょうか?(笑)
維盛は武士よりも芸術肌であったのではないでしょうか?
もうしばらく入道の話にお付き合いください。

しずかさん、こんにちは。
入道の話は知らなかったので、
興味深く読ませていただきました。

くまさん、おはようございます。
私も入道の話に興味を持ち、最近になっていろいろな資料を読みました。今年は義経+周りの人にもスポットを当てていきたいと思います。

何時の世も時代に合わない不器用な人が居るものです。
よく判りませんが維盛と言う人も違う時代に生まれておれば違った人生を送れたでしょうね。

一生懸命やっていても報われない人・・・維盛はまさにそんな人だったのだと思います。清盛に認めてもらおうと必死だったのにもかかわらず、やること全てが裏目に出てしまった。彼も悲劇のヒーローといえるかもしれません。

大勢の平家の公達の中で、何となく頼りなげで、影の薄いのが維盛ですね。
それに比べて次男の資盛は頑張りましたね。

merryさん、こんばんは。
維盛と資盛の関係は、宗盛と知盛の関係に似てると想いませんか?

しずかさん今晩は

芝川町上稲子の伝・平惟盛の墓の写真が出てきました。

こコメントで送信可能でしょうか?

弁慶さま、こんばんは!


平惟盛さまの墓の写真、ぜひ見せてください。

メールに添付していただけますか?

よろしくお願いします。


1.平惟盛の墓

2.堀藤次親家の館跡の碑


3.伝・和泉式部誕生塚


しずかさん

上手く送信できるとよろしいのですが・・・・・。

弁慶さん、おはようございます。

今のところメールは届いていません。
もしかしたら迷惑メールに振り分けられて削除されて
しまったのかな~?
お手数ですが、もう一つのメルアドに送っていただけますか?

よろしくお願いします。

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