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2006年1月 8日 (日)

西八条第跡

平清盛は、白拍子の祇王を愛妾として西八条第に住まわせていました。そこへ加賀の国の仏御前が現れ、清盛な前で舞を披露したいと申し出ました。清盛は門前払いをしましたが、祇王がとりなし、仏御前を呼び入れます。すると清盛はすっかり仏御前に心移りをし、祇王を追い出してしまいました。

西八条第は六町を有する広大な邸宅でしたが、平家が都落ちの際、火が放たれ、灰になってしまいました。今は京都駅から近い梅小路公園になっています。b

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祇王・祇女・仏御前」カテゴリの記事

コメント

けっこう細かい所まで調べて行かれているのですね。広大な土地に住んでいたようですが、当時は京都の人口もわずかだったのでしょうね。
1872年(明治5年)の人口が3480万人です。

祇王がとりなした結果、仏御前が清盛に気に入られ自分が追い出される・・・なんとも皮肉な結果になってしまったのですね。
非情な世の中ですね・・・

祇王は誰を恨んだのでしょうね?・・・

ラメールさん、おはようございます。
京都駅から近いのに、ここは最近知りました。当時の面影は無く、ただの公園です。

やっちゃんさん、早朝の訪問ありがとうございます。祇王は同じ白拍子ということで、仏御前を哀れに思ってとりなしたのでしょうね。結果的に自分を追い詰めることになってしまいました。

この話を聞いたのは中学生の時でした。
それがすごく印象に残り、その後平家物語を読み、祇王寺を訪ねました。
ン十年前の事です。

merryさんはお若い頃から読書家だったのですね。私は学生時代はもっぱら海外文学ばかり読んでいました。中学生の頃に平家物語に興味を持っていたら古典のテストはもっと点を取れたでしょうね。平家物語は改めて読んでみたいと思います。

ここにメール送る人たちは歴史大好きな
人たちだね・知識人?
私は理数だめで英語が楽しい時間でしたよ
(そろばんもね・大笑い・・・

ヒロシさん、私もそろばん派です。小学校3年から習い始め、中一の時に2段を取ってやめました。今でも計算機よりそろばんの方が得意ですよ。

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