建礼門院右京大夫(2)
源平合戦の最中、平家の都落ちしが決まり、資盛は「道の光もかならず思いやれ」と言い残し、右京大夫と別れた。西海から平家の悲報が伝わるたびに右京大夫は心を痛めた。
いずくにて、いかなることを思ひつつ こよひの月に袖しぼるらん
やがて資盛の訃報が右京大夫のもとに伝わる。
かなしともまたあはれとも世のつねに いるべきことにあらばこそあらめ
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昔は、側室制度があったので右京大夫を側室にすればよかったのでは。
正妻が強かったので隠れて会っていたのですね。道ならぬ恋ほど燃えるので、後世に歌まで残ったのですね。
投稿: ラメール | 2006年2月13日 (月) 00時32分
「袖しぼるらん」という表現がいいですね。
泣いて、泣いて、泣き明かした右京大夫の姿が目に浮かびます。
投稿: merry | 2006年2月13日 (月) 09時21分
ラメールさん、merryさん、訪問ありがとうございます。
これもまた実らぬ恋ですね。
どんな形にせよ、想いがあるのに相手と別れるのは辛かったでしょう。
投稿: しずか | 2006年2月13日 (月) 10時20分