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2006年2月14日 (火)

建礼門院右京大夫(3)

資盛の死を知らされた右京大夫は、夫・平道盛の後を追って入水した小宰相のように死ぬことも、建礼門院のように出家することも出来ず、昔の資盛の領地を訪ねて思い出にひたったり、自分の死後、誰が資盛を弔ってくれるのかを心配していた。

いかにせむ 我がのちの世はさてもなほ むかしの今日を とふ人もがな

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コメント

右京大夫は、死に別れだったのでいい思い出ばかりが残って資盛の領地まで思い出に浸りに行ったのですか。
思い通り、一緒になっていたらこんな歌も残らず、歴史上に名を残すこともなかったでしょう。

それに比べると義経の母常盤は強かったですね。夫が死んだ後も子どもの為強く生き抜いたその姿は立派です。

merryさんのコメント通り、常盤は敵方の清盛の側室になってまで子供のために生きた。
そして、清盛はあまりにも美しい常盤に敗れた。

ラメールさん、merryさん、コメントありがとうございます。
いろんな本を読んでいくうちに、源平の時代に生きたそれぞれの女性の生き様に益々、興味が湧いてきました。生き方は違いますが、常盤も時子も強い女性ですね。この右京大夫はまた違うタイプのようです。

このブログもすっかり義経専門ブログになり多くのお友達ができましたね。
今日は義経のことではないので、ちょっと肩身が狭いのですが、私のHPにお越し頂いた御礼にお伺いさせていただきました。
ご来訪有難うございました。
東京に行かれていたのですか。
富士山綺麗ですね。
東京は旅の経由地として通るだけで、もうずっと行っていません。
桜の頃に是非行きたいと思っていますけれど。

kenさん、こんにちは。訪問ありがとうございます。
私は東京に行くことが多いのですが、新幹線の中ではついつい寝てしまい、久し振りにはっきりとした富士山を見ました。
またゆっくりkenさんのお写真を拝見させていただきます。

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