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2006年2月 2日 (木)

長楽寺(3)建礼門院十三重御塔

1185年5月1日、建礼門院は、29歳の時、この寺で髪をおろしました。長楽寺の境内には、建礼門院御塔があります。(御髪塔とも伝えられる) 説明板によると、「この塔は以前は長楽寺山山腹八丁台の景勝地にあったが、明治初年にこの地に移された。平家物語には、鷲尾にて69歳で亡くなった、遺骨を鷲尾に納めたともあり、鷲尾山長楽寺のことを指しているとすれば、この御塔は女院の御舎利塔とも拝される。」 鷲尾という地名は、東山区鷲尾町という町の名前に見られます。5_b 6_b

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コメント

建礼門院がその後どのように生きたのかは、よくわからないそうですね。
「平家物語」では建久2年(1191)2月中旬、寂光院でご一生を終わられたと書いてありますが、「読み物系平家物語」というのはまた違う本なのでしょうか?
800年も昔の事だから、色んな説があって当然だと思います。

merryさん、コメントありがとうございます。
私の知る限りでは、建礼門院は、寂光院で崩御されたと聞いていましたが、長楽寺の説明にはこの違う説も載っていました。どちらのお寺にも関わっていたことは事実でしょうが、どちらで亡くなったのかはよくわからないということでしょうか?

ぜんぜん関係ないですけど、しずかさんは、も

う一つタッキーのブログを持ってるとききまし

た・・どうやってみるの??

シネマ姉さん、こんばんは。
もう一つのブログは、タッキーのブログではなく、方向性のない、ただの日記です。もしよろしかったらお越し下さい。このブログの左側に紹介してあるMy Daysからも行けます。
http://shizuyashizu.jugem.jp/

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