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2006年2月 6日 (月)

長楽寺(6)寂光院へ

平家滅亡後、頼朝は、宗盛の遺領を建礼門院に贈ったが、やがて1185年10月、女房の一人である右京太夫の助言で、建礼門院は、長楽寺から大原の寂光院へ移った。しかし、頼朝は、大原の入り口「花尻の森」に松田源太夫という人を監視役として建礼門院を見張らせたという。人里離れた大原でも、建礼門院は心穏やかに暮らすことはできなかったのでしょうか。

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建礼門院」カテゴリの記事

コメント

長楽寺から寂光院へと行きましたね。
建礼門院だけでもすごいネタが沢山あるのですね。私なら1~2回で終わるところです。

ラメールさん、おはようございます。
最近になって、一人の人物について調べていくと、いろんな人物や場所に話が繋がっていくことに気付きました。寂光院へは昨年行けなかったので、またの機会に行きたいです。

寂光院へは火災修復時に行きました。 その当時は何の知識もないままに・・・
三千院へ行った際、ついでに立ち寄ったら修復中だったわけ・・・
なんだか懐かしく思い出しました。

そうそう、やっちゃんさんのHPで貴重な修復写真を見せていただきましたね。
私が行ったのは随分前のことです。その頃は私も何の知識もなく・・・でした。
大原は紅葉の季節に行きたいな。

建礼門院は大原で静かに余生を過ごしたとばかり思ってました。頼朝から付けられた監視人がいたのですか・・・
でも、宗盛の遺領を送るとは、なかなか良心的ですね。

merryさん、おはようございます。
遺領を贈ったのは、頼朝のせめてもの温情だってのではないでしょうか。でも、監視人を付けたのは、いかにも頼朝らしい感じがします。

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