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2006年2月 7日 (火)

大原御幸(1)

大原の寂光院に移った建礼門院のもとに、1186年4月下旬、後白河天皇が数人のお供を連れ、お忍びで訪ねて来た。天皇が見たのは、建礼門院の粗末な暮らしぶりでした。突然の天皇の訪問に、涙の止まらない建礼門院に、天皇は「万物は流転して果てる。天人五衰ということもある。」と慰めの言葉をかけた。そして、お互いに平家の世を懐かしんだという。

この場面を描いた日本未知画伯の絵が、長楽寺に昭和61年に寄贈されました。ooharagokou

(長楽寺HPより)

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建礼門院」カテゴリの記事

コメント

こんな絵まであるのですか。
源平の話は、どんどんと広がりをみせますね。
さすが、先生だけあって探求心が旺盛ですね。次はどんな話が飛び出すのか楽しみです。

平幹二朗(字が合ってるかな?)の憎々しげな後白河法皇のイメージとは大違い!
とっても優しい顔をしていますね。

ラメールさん、おはようございます。
春の奈良遠征まで、がんばって話を繋いでいきたいです。ネタ切れにならないように、なるべく一つのネタで話を広げます。

やっちゃんさん、おはようございます。
平さんの後白河天皇は、憎たらしかったけど、表情が豊かで楽しませていただきました。やはりあの方は演技派ですね。

この絵の後ろに描いてある松が、この前の火災で焼けてしまったのですよ。
歴史ある松だったのに、残念ですね

そうなんですか。
あの放火魔は逮捕されたのですか?
なんの目的でやったのでしょうね?

私が一昨年、寂光院に行ったときは、
本堂を建設中でした。
歴史的建造物を放火した犯人が憎いです。

くまさん、おはようございます。
昨日も、法隆寺や浅草寺の仏像を盗んだ犯人が捕まったというニュースを聞きました。そういう人が後を絶たないのでしょうか。

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