« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »
五条天神は、「義経記」によると、義経と弁慶、義経と湛海の決闘の場だけでなく、弁慶の母が、未婚の頃、五条天神に子が授かることを祈願して弁慶を授かったというエピソードの舞台ともされています。
一条堀川の鬼一法眼が兵法の書を秘蔵していることを知った義経は、鬼一法眼の屋敷に乗り込むが、断られてしまう。そこで、義経は鬼一法眼の娘と親しくなり、娘に頼んで兵法の書を持ち出させ、読むことに成功する。それを知った鬼一法眼は、弟子の湛海に、五条天神で、義経を斬るように命じた。父親の計画を知った娘は、義経に逃げるように忠告するが、義経は湛海と闘うことを選び、見事に打ち勝った。義経は湛海の首を法眼に投げつけて、山科へ去って行ったという。(「義経記」より)
今日は宮城県栗原郡に伝わる話です。
宮城県栗原郡金成畑村に住んでいた吉次兄弟は、炭焼き小屋から掘り出した金を、父の命により都に行く途中、鏡宿に宿をとった。ここで、山賊の熊坂長範が、金を奪おうと吉次兄弟を襲ったが、平泉に行く途中、同じく鏡宿に泊まっていた義経が、兄弟を助けた。これが縁で、義経は平泉までの道案内を兄弟に頼んだという。(栗駒パネル展より)
福島県白河市に、金売り吉次三兄弟(吉次、吉内、吉六)の墓があります。
吉次兄弟は、砂金を交易して平泉と京を往来する途中、盗賊に襲われ殺害された。里人が哀れに思い、この地に葬り供養した。二年後に、義経がこの地に立ち寄り、吉次兄弟を弔い、その霊を近くの八幡宮に合祀したと伝えられている。(白河観光協会HPより)
「義経記」に登場する京都三条の吉次宗高は、奥州藤原氏のもとへ、京の物産を持って砂金を買い付けに行く商人でした。しかし、ただに商人というだけではなく、都の貴族の血筋を欲しがる地方の豪族に都の貴族を売買するという人買いの役目もしていたとの説もあります。(「伝説と史跡」より)
今日は奈良に伝わる伝説です。
今若・乙若を連れた常盤が旅の途中で産気づき、困っていたところを、柳生藩の棒術長谷川流の祖・長谷川金右衛門が家に連れ帰り世話をした。そこで生まれたのが牛若という。
(ならリビングより)
産気づいた場所とは、奈良県の大柳生町で、今も大柳生には常盤の森、産湯の淵がある。
今日は、埼玉県飯能市に伝わる話です。
義経を追った常盤は、人目を避けて多峯主山にさしかかった時、後を振り返り登ったということでこの坂を見返り坂と呼ぶようになった。この多峯主山の小高いところに常盤の墓があったと言われ、そこに立派な五輪の塔がある。(観光ガイド はんのうNOWより)
最近のコメント