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2006年3月

2006年3月31日 (金)

三嶋大社(6) 厳島神社

神池にある北条政子が信仰していた神社です。
当社は家内繁栄、商売繁盛、安産、裁縫の守護神として広く信仰されています。1b

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2006年3月28日 (火)

三嶋大社(5)安達藤九朗盛長警護の跡

頼朝が源氏再興を願って、三嶋大社を日参した時、安達盛長がこの場所で警護していたといわれている。 b

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2006年3月26日 (日)

三嶋大社(4) たたり石

この石は、大社前の旧東海道の中央で行き交う人の流れを整理する役目を果たしていた。本来、「たたり」とは、糸のもつれを防ぐ具=整理を意味するが、この石を取り除こうとする度に災いがあったと言われ、「たたり」が「祟り」に置き換えられて考えられるようになったという。b (たたり石の看板より)

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2006年3月22日 (水)

三嶋大社(3)大楠と金木犀

頼朝が放生会を行った心池の脇に大楠が、本殿手前には金木犀があり、どちらも樹齢 1000年を越す老木である。金木犀は、天然記念物に指定されている。1b b b

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2006年3月21日 (火)

三嶋大社(2)神池(しんち)

心池は、「心」の形をしている池です。
ここで頼朝が、放生会(ほうじょうえ)-魚や鳥を放し生命を慈しみ殺生を戒める神事
を行ったとされる。b b

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2006年3月19日 (日)

三嶋大社(1)頼朝・政子の腰掛石

平家により伊豆に流され、流人としての生活を送っていた頼朝は、1180年の5月、平家追討の心願を立て、100日間三嶋大社に日参した。その際、休息したとされる腰掛石が境内に残されています。右側の小さい方が北条政子の石、左側の大きな方が頼朝の石です。 b b

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2006年3月18日 (土)

頼朝生誕の地(3) 由良御前

熱田神宮の大宮司・藤原季範の娘であり、頼朝の母である由良御前は、義朝との間に男子2人、女子1人をもうけた。その男子ひとりが頼朝である。
熱田神宮の宮司とは、熱田、鹿島、香取、宇佐、阿蘇、気比などの神社を束ねる神職の長というたいへん高い身分で、その地位は世襲だった。頼朝が義朝の三男でありながら、嫡子となったのは、母親が高い家柄の出だったからである。(義経紀行より)

由良御前の兄弟である範忠と範雅は、後白河天皇に、また姉妹は待賢門院(後白河天皇の母)や上西門院(後白河天皇の同母姉)に仕えた。
由良御前の父であり、頼朝の祖父である藤原季範は、鳥羽院の乳母悦子の従兄弟という関係にあった。b

熱田神宮

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2006年3月17日 (金)

頼朝生誕の地(2) 本遠寺

熱田神宮近くの白鳥には本遠寺があります。本遠寺は、日澄によって熱田神宮の法華堂だったものを本堂として創建されました。かつては国宝に指定された室町時代の楼門がありましたが、戦火により消失してしまいました。2 3

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2006年3月16日 (木)

頼朝生誕の地(1) 頼朝生誕地の石碑

今日から頼朝特集です。

名古屋の熱田神宮近くの旗屋町の誓願寺に頼朝生誕地の石碑があります。ここには熱田神宮大宮司である藤原氏の別邸がありました。熱田大宮司の娘・藤原季範の娘は、源義朝の正室となり、頼朝を身ごもった際、この別邸で出産しました。2 3 1

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2006年3月15日 (水)

若宮八幡宮

後冷泉天皇の勅令で、源頼義が創建した。左女牛井八幡とも呼ばれ、長年にわたり源氏の崇拝を受けた。(現在は東山五条坂に移転)
周辺には六条堀川館があり、為義や義朝の邸宅であった。京に入った義経もその邸宅を宿とした。1_b 2b 3b 4b

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2006年3月14日 (火)

五条天神(4)

五条天神は、「義経記」によると、義経と弁慶、義経と湛海の決闘の場だけでなく、弁慶の母が、未婚の頃、五条天神に子が授かることを祈願して弁慶を授かったというエピソードの舞台ともされています。

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2006年3月12日 (日)

五条天神(3) 義経と湛海

一条堀川の鬼一法眼が兵法の書を秘蔵していることを知った義経は、鬼一法眼の屋敷に乗り込むが、断られてしまう。そこで、義経は鬼一法眼の娘と親しくなり、娘に頼んで兵法の書を持ち出させ、読むことに成功する。それを知った鬼一法眼は、弟子の湛海に、五条天神で、義経を斬るように命じた。父親の計画を知った娘は、義経に逃げるように忠告するが、義経は湛海と闘うことを選び、見事に打ち勝った。義経は湛海の首を法眼に投げつけて、山科へ去って行ったという。(「義経記」より)

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2006年3月 9日 (木)

五条天神(2)義経と弁慶の決闘②

五条天神で、牛若丸に負けた弁慶は、この後もう一度牛若丸に決闘を挑んだ。次の舞台は清水寺であった。清水の本尊に願懸けに来た義経を、、弁慶は参道で待ち伏せし、清水の舞台で決闘する。舞台の欄干に飛び移り、敏捷な動きの牛若丸に弁慶は完敗し、義経に終生の忠誠を誓うのであった。(「義経記」より)

五条天神       清水寺5b 1b

  

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五条天神(1)義経と弁慶の決闘①

「義経記」には、義経と弁慶が初めて闘ったのは、五条大橋ではなく、五条天神となっている。弁慶が九百九十九振りの太刀を手に入れ、あと一振りで千本という時、五条天神に詣で、よい太刀が入るように祈願する。そこへ牛若丸が現れ、弁慶は太刀を奪おうと襲いかかる。牛若丸は弁慶の胸を蹴飛ばして、軽々と3m余りある塀に乗り上げた。そして弁慶から取り上げた太刀をへし折った。(「義経記」より)1b 6_b

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2006年3月 8日 (水)

左女牛井之跡

  左女牛井は、京の名水として源氏の館、六条堀川館内に引き込まれていた。
平治の乱で、平家に焼かれ、後に義経が再建した。ここで静御前と暮らしていたという。義経が京を去ってからは荒廃し、現在は、京都市下京区六条堀川の京都東急ホテルの横に石碑のみがたっている。土佐坊昌俊が堀川夜討ちした屋敷跡でもある。1b3b  2_b

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2006年3月 7日 (火)

金売り吉次(3)

今日は宮城県栗原郡に伝わる話です。

宮城県栗原郡金成畑村に住んでいた吉次兄弟は、炭焼き小屋から掘り出した金を、父の命により都に行く途中、鏡宿に宿をとった。ここで、山賊の熊坂長範が、金を奪おうと吉次兄弟を襲ったが、平泉に行く途中、同じく鏡宿に泊まっていた義経が、兄弟を助けた。これが縁で、義経は平泉までの道案内を兄弟に頼んだという。(栗駒パネル展より)

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2006年3月 6日 (月)

金売り吉次(2)

福島県白河市に、金売り吉次三兄弟(吉次、吉内、吉六)の墓があります。
吉次兄弟は、砂金を交易して平泉と京を往来する途中、盗賊に襲われ殺害された。里人が哀れに思い、この地に葬り供養した
。二年後に、義経がこの地に立ち寄り、吉次兄弟を弔い、その霊を近くの八幡宮に合祀したと伝えられている。(白河観光協会HPより)

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2006年3月 5日 (日)

金売り吉次(1)

「義経記」に登場する京都三条の吉次宗高は、奥州藤原氏のもとへ、京の物産を持って砂金を買い付けに行く商人でした。しかし、ただに商人というだけではなく、都の貴族の血筋を欲しがる地方の豪族に都の貴族を売買するという人買いの役目もしていたとの説もあります。(「伝説と史跡」より)

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2006年3月 3日 (金)

願王寺

木辻の商店街の一角に、願王寺があります。ここで、牛若丸と吉次は地元の人たちと、願王寺の地蔵尊に旅立ちの安全を祈願し、水盃を交わしたといわれています。1b 2_b 3_b

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牛若丸首途の井

京都の花園に木辻という町があります。この辺りは金売り吉次の屋敷跡と伝えられていて、「牛若丸首途の井」の碑が建てられています。「吉次」という名は「木辻」が訛ったのではないかという説もあります。
この石碑の横には「牛若丸の宿」という旅館があります。1b 1b

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2006年3月 2日 (木)

常盤伝説(4)

今日は奈良に伝わる伝説です。

今若・乙若を連れた常盤が旅の途中で産気づき、困っていたところを、柳生藩の棒術長谷川流の祖・長谷川金右衛門が家に連れ帰り世話をした。そこで生まれたのが牛若という。
(ならリビングより)

産気づいた場所とは、奈良県の大柳生町で、今も大柳生には常盤の森、産湯の淵がある。

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2006年3月 1日 (水)

常盤伝説(3)

今日は、埼玉県飯能市に伝わる話です。

義経を追った常盤は、人目を避けて多峯主山にさしかかった時、後を振り返り登ったということでこの坂を見返り坂と呼ぶようになった。この多峯主山の小高いところに常盤の墓があったと言われ、そこに立派な五輪の塔がある。(観光ガイド はんのうNOWより)

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