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2006年4月14日 (金)

阿野全成(1)

幼名は今若。幼い頃に京都の醍醐寺に出家させられ、全成と名乗ったが、頼朝が挙兵すると、京を抜け出し、頼朝のもとへ駆けつけた。その時、頼朝は涙を流して喜んだという。
その後、北条政子の妹・保子(後に実朝の乳母になる)と結婚し、頼朝のもとで着実な地位を築いていった。
頼朝の死後、北条氏の勢力が強くなる中、全成は北条氏討伐の兵を挙げたが、幕府に謀反の罪で常陸国に配流され、1203年6月、下野国で処刑された。享年51歳。
全成の首は阿野庄全成館に届けられたという。

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コメント

今若は頼朝の下で、しっかり生きていたのですね。意外でした。
義経ももし頼朝に従順だったら、もっと平凡に長生できたのかもしれませんね。
最もそれでは後世に名が残りませんが・・

読みました(^^)

merryさん、ヒロシさん、訪問ありがとうございます。
義経の実の兄弟・今若、乙若のその後に関してはあまり知られていないですよね。今回調べてみて静岡県沼津市に今若の軌跡があることにも驚きました。

清盛は、頼朝兄弟を生かしたと言うことですね。そして、後になって彼らが平家を滅亡させた。
巧妙が辻で、長政の長男をソッコク処刑した信長はこの事実を受け止めて生かさなかったのかと思います。

ラメールさん、コメントありがとうございます。
それは清盛の優しさだったのか、甘さだったのか、常盤を手に入れたいがためだけの手段だったのか・・・いずれにしても源氏の子供を生かしたことが平家にとっては誤りだったのですね。

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