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全成の長男・時元も1219年、北条氏討伐の兵を挙げるが、あえなく敗北、時元は自害した。
全成・時元の墓は沼津の大泉寺にある。また大泉寺には全成の首が一夜のうちに阿野の地まで飛んで来て、松の木の枝に掛かったという伝説がある。
幼名は今若。幼い頃に京都の醍醐寺に出家させられ、全成と名乗ったが、頼朝が挙兵すると、京を抜け出し、頼朝のもとへ駆けつけた。その時、頼朝は涙を流して喜んだという。
その後、北条政子の妹・保子(後に実朝の乳母になる)と結婚し、頼朝のもとで着実な地位を築いていった。
頼朝の死後、北条氏の勢力が強くなる中、全成は北条氏討伐の兵を挙げたが、幕府に謀反の罪で常陸国に配流され、1203年6月、下野国で処刑された。享年51歳。
全成の首は阿野庄全成館に届けられたという。
1172年、愛鷹山麓(沼津市)にいる兄の阿野全成(今若)を訪れた義経は、平泉に向かう途中、三島に泊まり、三嶋大社に武運を祈ったという。
阿野全成の館跡については↓のページをご覧下さい。
頼家の般若心経は、この後二度社外へ持ち出されながらも、二度とも再奉納によって大社に戻ってきたという数奇な運命を辿ったという。
流出した経文を亀井重矩が、由緒を知って大社に奉納。
明治時代、これを管理していた大社の別当・愛染院が廃寺となり、蓮華寺に移管。
明治29年、蓮華寺から大社に奉納。
やはり戻るべきところに戻ってきたというわけか。
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