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2006年4月

2006年4月30日 (日)

伊豆韮山(6) 守山八幡宮

願成就院から二、三分のところにある守山八幡宮は、源氏の守護神を祀る。
1180年、以仁王から平家追討の令旨を受けとった頼朝は、それを開く前に守山八幡宮を参拝したという。

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伊豆韮山(5) 成福寺

韮山駅のすぐ西側に北条氏ゆかりの寺、成福寺(じょうふくじ)がある。ここは、北条時宗の第三子の正宗が一族の菩提を弔うために創建した。

境内には一族の供養塔がある。

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2006年4月28日 (金)

伊豆韮山(4) 光照寺

政子産湯の井戸の近くに、光照寺がある。もとは北条時政が頼朝のために建てた館の跡で、頼朝の死後に寺になった。

*こちらに伝わる頼家のお面をご住職のご好意で見せていただきました。

修善寺に伝わる頼家の面とは表情が違って見えました。



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2006年4月27日 (木)

伊豆韮山(3) 願成就院

願成就院は、頼朝の奥州攻めの成功を祈願して、1189年、北条時政が建立した寺である。1491年、この地にあった掘越御所を北条早雲が攻撃した際、願成就院のほとんどの堂塔が燃えてしまった。その後、規模は小さくなったが、運慶の作である阿弥陀如来像や、北条政子の七回忌に造った政子地蔵、時政の墓などがある。

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2006年4月26日 (水)

伊豆韮山(2)北条政子産湯の井戸

頼朝の正妻で、後に尼将軍と呼ばれた政子は1157年、北条時政の長女として韮山に生まれた。その際、産湯の水をとったとされる井戸がある。
周囲は住宅地に囲まれ、少々見つけにくい場所であった。

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2006年4月23日 (日)

伊豆韮山(1) 蛭ヶ島の夫婦の像

三島駅から伊豆箱根鉄道で韮山に下車。韮山駅の東側には蛭ヶ小島、西側には狩野川。蛭ヶ小島は、かつては狩野川の中州であったと考えられ、蛭が多かったことから「蛭ヶ小島」と名付けられたという。蛭ヶ小島は、頼朝が14歳の時に配流され、14歳から34歳まで過ごした地。その蛭ヶ小島の公園の一角に頼朝と政子の夫婦の像がある。周囲は田園に囲まれ、夫婦の像は富士山をあおいでいる。

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2006年4月21日 (金)

八幡神社(3) 白幡社

八幡神社は、富士川の合戦の際、黄瀬川に陣を張った頼朝が源氏の守護神である八幡宮をこの地に勧請したのが始まりだという説があるそうだ。
八幡神社の境内には、頼朝を祀った白幡社がある。(写真中央) C C_1 2c

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2006年4月19日 (水)

八幡神社(2)ねじり柿

対面石の後ろには「ねじり柿」と呼ばれる柿の木が生えている。
頼朝が義経と対面した際、柿を口に入れたら渋柿だったので吐き出したら、それが後になって芽を出して柿の木になったという。しかし、よく見るとこれは二本の幹が一本に見えるように絡まりあい、ねじれあっている。これを見ていると、兄弟でありながら同じ道を歩むことの出来なかった頼朝・義経兄弟のように思えてならなかった。2b_1 1b_4 B_9

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八幡神社(1)対面石

三島の八幡神社には、本殿に向かって左手奥に、頼朝と義経が初めて会った時に腰掛けたとされる対面石がある。大きい方が頼朝、小さい方が義経の座った石である。B_5 B_7 B_8

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2006年4月15日 (土)

阿野全成(2)

全成の長男・時元も1219年、北条氏討伐の兵を挙げるが、あえなく敗北、時元は自害した。
全成・時元の墓は沼津の大泉寺にある。また大泉寺には全成の首が一夜のうちに阿野の地まで飛んで来て、松の木の枝に掛かったという伝説がある。

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2006年4月14日 (金)

阿野全成(1)

幼名は今若。幼い頃に京都の醍醐寺に出家させられ、全成と名乗ったが、頼朝が挙兵すると、京を抜け出し、頼朝のもとへ駆けつけた。その時、頼朝は涙を流して喜んだという。
その後、北条政子の妹・保子(後に実朝の乳母になる)と結婚し、頼朝のもとで着実な地位を築いていった。
頼朝の死後、北条氏の勢力が強くなる中、全成は北条氏討伐の兵を挙げたが、幕府に謀反の罪で常陸国に配流され、1203年6月、下野国で処刑された。享年51歳。
全成の首は阿野庄全成館に届けられたという。

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2006年4月 9日 (日)

三嶋大社(11) 義経と全成

1172年、愛鷹山麓(沼津市)にいる兄の阿野全成(今若)を訪れた義経は、平泉に向かう途中、三島に泊まり、三嶋大社に武運を祈ったという。

阿野全成の館跡については↓のページをご覧下さい。

http://www.city.numazu.shizuoka.jp/bunkazai/siro/ano.htm 1b_3 2b_2 B_4

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2006年4月 6日 (木)

三嶋大社(10) 頼家の般若心経②

頼家の般若心経は、この後二度社外へ持ち出されながらも、二度とも再奉納によって大社に戻ってきたという数奇な運命を辿ったという。

流出した経文を亀井重矩が、由緒を知って大社に奉納。
明治時代、これを管理していた大社の別当・愛染院が廃寺となり、蓮華寺に移管。
明治29年、蓮華寺から大社に奉納。

やはり戻るべきところに戻ってきたというわけか。

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2006年4月 5日 (水)

三嶋大社(9) 頼家の般若心経①

現存する頼家唯一の自筆書。
頼家は、頼朝の死後、三年目に鎌倉幕府二代将軍となったが、実権は北条家に握られ、苦悩の中、発病していまう。平癒を願い、この般若心経を三嶋大社に奉納した。B_2

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2006年4月 4日 (火)

三嶋大社(8) 政子の梅蒔絵手箱

宝物館では、北条政子奉納、国宝「梅蒔絵手箱」の模造品が展示されています。
800年前の奉納当時の材料と技法を甦らせ、製作されました。B B_1 (三嶋大社HPより)

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2006年4月 2日 (日)

三嶋大社(7) 頼朝下文

三嶋大社の宝物館に展示されていたものを紹介します。

頼朝下文は、現存する頼朝の文書の中で最も古いもので、平家追討の旗揚げをした頼朝の花押(かおう)がある。(三嶋大社HPより)

*花押とは印の代わりに自筆で書く図案化したサイン1b_1 2b

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