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義経の鎧や書がこれだけあるのがこれだけ残っているのが不思議です。
本物なら、国宝ものでしょう。
投稿: ラメール | 2006年5月14日 (日) 00時45分
鎧の事を「色々威腹巻」・・・って言うの?
どうみてもこれは「よろい」じゃ~!(笑)
投稿: やっちゃん | 2006年5月14日 (日) 11時49分
ラメールさん、やっちゃんさん訪問ありがとうございます。
義経一行が吉野へ来たのは事実なので、真偽のほどはともかく一行の足跡のような物なのかと思っています。
色々威腹巻は、「いろいろおどしはらまき」と読みます。室町後期以降に流行した威毛の一種で、三色以上の色目を不特定に用いるそうです。
投稿: しずか | 2006年5月15日 (月) 00時14分
昨日、「鎧」と「色々威腹巻」はどう違うのかネットで調べたり、広辞苑で調べたりしているうちに、コメントを書くのを忘れました(笑)
で、結局「鎧」とは総称で、「色々威腹巻」は鎧の内容を詳しく説明したものという結論に達しました。独断と偏見です(笑)
投稿: merry | 2006年5月15日 (月) 22時00分