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2006年5月

2006年5月31日 (水)

油山寺(3)天狗杉

また樹齢1000年を越える天狗杉もあり、その根の部分が飾られています。
割れ目にはたくさんの一円玉が差し込まれていました。
たしかに天狗の鼻のように見えますね。C_22

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油山寺(2)御霊杉(みたますぎ)

油山寺の境内に、幹がマツ、枝葉がスギという御霊杉があります。
杉の伝説として次のような話が伝わっています。

弘法大師がご来錫の折、村里の貧しい夫婦の重病の子供を救ったお返しに、夫が松、妻が杉で一膳のはしを作り、大師の捧げました。 大師はこの夫婦の真心に感心し、旅立ちの際、この浄地にはしをさして行かれました。
その後、幹がマツ、枝葉がスギという珍しい霊木になりました。2c_6

1c_5  

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2006年5月29日 (月)

油山寺(1)三重塔

静岡県袋井市の油山寺は目の霊山として知られています。
46代孝謙天皇が当山で眼病全快され、勅願寺と定まりました。
国指定重要文化財の三重塔は、建久元年(1190)年、頼朝が眼病全快のお礼に建立されたもので、桃山の三名塔の一つに数えられています。
昭和42年、頼朝が建立して以来、初の全解体修理をし、44年に復元しました。
(油山寺HPより抜粋)_c_9 C_17 C_18 C_19


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2006年5月28日 (日)

吉野ロープウェイ

近鉄吉野駅前の千本口から吉野山駅までを結ぶ現存する日本最古ロープウェイ。
所要時間は3分だが、美しい眺望にうっとりしているとあっという間についてしまう。
C_16

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2006年5月27日 (土)

弘願寺

こちらでは6月4日のむし歯の日に、歯がため地蔵祭という法要があり、参拝者には歯ブラシと餅が配られるそうです。3c_5 2_

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2006年5月25日 (木)

竹林院

聖徳太子が創建したとされる寺院で、修験者の宿坊として利用された。
庭園の群芳園は、千利休が作庭したという池泉回遊式で、大和三庭園のひとつとして有名である。1c_4 3b_1

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2006年5月24日 (水)

東南院

東南院は、大峰山の護持院で、山伏修験者のための宿坊であり、厳しい修行の中で、しばしの憩いの場でもありました。

この日は花供会式があり、式に参加するお稚児さんがお参りしていました。3c_4 2_b

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銅(かね)の鳥居

銅の鳥居は厳島神社、大阪四天王寺の鳥居と並んで日本三鳥居のひとつである。
また、修行の決心をするところでもあり、発心門ともいう。(義経伝説紀行より)1c_2 2_c_2

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2006年5月22日 (月)

金峯山寺 黒門

吉野山の入り口であり、金峯山寺の総門である。
かつては公家や大名でもこの門のところで馬や駕籠を降り、槍を伏せて通ったという。
古びた佇まいが歴史を感じさせるが、格式のある門である。C_15

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2006年5月21日 (日)

義経の逃避行(14)金峯山寺

静が辿り着いた蔵王堂では縁日で猿楽が行われていた。
静は群集に紛れようとしたが、治部法眼(じぶのほうげん)という僧によって正体を見破られてしまうのであった。

静が義経と過ごした吉野での日々は真冬の5日間。雪景色だけでなく桜満開の吉野も見せてあげたかったと思いました。

3c_8

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2006年5月20日 (土)

義経の逃避行(12)金峯山寺

静と別れることを決めた義経は、静が無事に下山できるように護衛をつけた。
しかし、彼らは義経が静に与えた金品を奪って逃げてしまった。
一人残された静は山の中を彷徨い、金峯山寺の蔵王堂に辿り着いた。11c_1

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2006年5月19日 (金)

義経の逃避行(11)吉水神社

頼朝の追っ手が迫り、これから先は女人禁制の雪道の山中。吉水神社に5日間潜伏していた義経は、ついにここで静と別れる決心をした。

こちらの境内には、弁慶力釘、義経コマツナギ松、義経馬蹄跡といわれる遺跡があります。

義経馬蹄跡B_39

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2006年5月18日 (木)

義経の逃避行(10)吉水神社

弁慶の七つ道具といえば、鎌、鋸、槌、鉞(まさかり)、熊手、鉄棒、長刀をいいます。
これらを背負った弁慶は五条の大橋の絵や、中尊寺の弁慶堂にある弁慶の木像にも見ることができます。
弁慶は、これらの武器を器用に使いこなし、義経を守っていたといわれています。


吉水神社には弁慶の籠手、弁慶の書が展示されています。_c_5 _c_6 _c_7 _c_8

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2006年5月17日 (水)

義経の逃避行(9)吉水神社

奥州から付き従った来た佐藤継信の弟・忠信の兜。
忠信はこの先の上千本、中千本を見下ろす吉野山の展望台・花矢倉のあたりで、義経の身代わりとなって追っ手と戦ったといわれている。_c_3 _c_4

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2006年5月15日 (月)

義経の逃避行(8)吉水神社

静御前の舞の衣や鎧。(静の衣の公開は春のみ)

静も鎧を持っていたのには驚いた。いざという時は戦う覚悟があったのだろう。

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2006年5月14日 (日)

義経の逃避行(7)吉水神社

「義経潜居の間」の隣には一畳の「弁慶思案の間」があります。ここで彼らはこの先の逃亡のルートを考えていたのでしょうか。 _c 1b_c_3

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2006年5月12日 (金)

義経の逃避行(6)吉水神社

花見客の多い4月、吉水神社には義経や静御前ゆかりの品が展示されていた。

左から義経の鞍、義経の鐙、義経の書
、義経の色々威腹巻 1b_c C_13 C_14 1a_c

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義経の逃避行(5)吉水神社

ここ吉水神社は、元は吉水院(きっすいいん)という金峯山寺の僧坊で、頼朝に追われた義経が、弁慶や静御前と潜んだとされている。1c 2b_8 6c_1

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2006年5月11日 (木)

義経の逃避行(4)勝手神社 舞塚

勝手神社の境内に、静の舞塚という石碑がある。
ここで、捕らえられた静が無理やり法楽の舞を舞わされたのだという。

勝手神社には、大海人皇子(天武天皇)が社前で琴を奏でていると天女が下りてきて舞ったという伝説も伝わっている。
静の舞は天女の舞のようだったのだろうか。C_8 C_12

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2006年5月 9日 (火)

義経の逃避行(3)勝手神社

奥千本から中千本までバスで戻り、竹林院を見学した後、勝手神社へ向かった。
ここは、義経と別れた静御前が追っ手に捕らえられた所とされている。
また、勝手明神、吉野山口神社ともいわれ、ここからが金峯山の入り口とされている。
残念ながら、社殿は2001年に不審火により消失してしまった。C_9 C_10


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2006年5月 8日 (月)

義経の逃避行(2) 金峰神社 義経隠れ塔

金峯神社の冠木門(かぶきもん)から下へ続く道へ降りると、杉に覆われた古い塔が見えてくる。
ここが義経隠れ塔である。追われた義経と弁慶はこの塔に隠れた。追っ手がここまでやってくると、義経は塔の屋根を蹴破って逃げたよいう。このことから蹴抜けの塔とも呼ばれている。

この日は霧が深く、ぼやけた写真しか撮れませんでした。C_6 3c_1 6c_3 2c_3

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2006年5月 7日 (日)

義経の逃避行(1)金峯神社

4月の中旬、桜で有名な吉野山へ向かった。
近鉄吉野からバスで奥千本へ。
この日はあいにく雨。
行きはバス、帰りは下り坂をのんびり歩くルートを選んだ。

まずは金峯神社へ。
金峯神社は吉野山のもっとも奥にある修験道の修行場。
この辺りから道が険しくなると聞いていたが、やはりこの参道の上り坂は結構きつかった。

まずは拝殿へ。
金峯神社は、吉野山の地主神であり、金鉱の守り神でもある金山毘古命をまつる。C_5 2c_2




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2006年5月 6日 (土)

熊野(ゆや)御前(4)

毎年5月3日、熊野の命日に行興寺の境内で、熊野御前の供養祭が行われる。

私が行った日がまさにその日で、供養祭を見ることが出来た。

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熊野(ゆや)御前(3)

熊野の献身的な介護のかいもなく、熊野の母は亡くなった。その後まもなく宗盛も源平合戦で命を失うことになる。熊野は尼になった後、33歳で亡くなった。
静岡県磐田市の行興寺には、熊野御前(左)とその母(右)の墓が
ある.。

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2006年5月 5日 (金)

熊野(ゆや)御前(2)

しかし、宗盛は熊野の申し出を聞き入れなかった。
ある日、無理やり清水の花見に連れて行かれた熊野は、宴の席でこう詠んだ。

いかにせん 都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん

この歌に胸をうたれた宗盛は、熊野が故郷へ帰るのを許した。C_4 7_c_1 14c

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2006年5月 4日 (木)

熊野(ゆや)御前(1)

熊野(ゆや)御前は平安末期に、遠州池田荘の庄司・藤原重徳の娘として生まれた。
平宗盛に寵愛された熊野は、都に住むこととなった。しかしある日、母の病気の知らせを受け、宗盛にお暇をいただきたいと申し出た。

静岡県磐田市行興寺には、国指定、一本、県指定5本の長藤がある。うち国指定(写真右)は樹齢850年を数え、熊野御前のお手植え とされている。

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2006年5月 3日 (水)

伊豆韮山(9) 源平合戦の陶板②

この陶板の大きさは50センチ四方です。夫婦の像に辿り着く目印もなるし、見ながら歩けば田舎道を歩くのも飽きません。

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2006年5月 2日 (火)

伊豆韮山(8) 源平合戦の陶板①

韮山駅から蛭ヶ小島へ向かう舗装道路に、10m間隔で源平合戦の絵と説明がかかれた陶板がはめこまれています。これらを見ながら歩いて行くと、頼朝・政子の夫婦の像へ辿り着くことが出来ます。

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2006年5月 1日 (月)

伊豆韮山(7) 真珠院

守山八幡宮をさらに進むと真珠院がある。
頼朝は政子と出会う前に、伊東祐親の娘・八重姫との間に男の子をもうけたが、平家を恐れた祐親は二人の仲を引き裂こうとした。頼朝との恋が叶わなかった八重姫は真珠ヶ淵に入水した。

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