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2006年6月 4日 (日)

八坂神社 忠盛灯籠(2)

その正体は・・・灯明をつけるため、油瓶と火を入れた土器を持った法師であった。
雨除けの笠をかぶった姿が鬼のように見えただけであった。
討ち取れと命令した上皇であったが、誤って人を殺さずに済み、忠盛の機転に感心した。
法皇はこの褒美として、自分の愛人である祇園女御を忠盛に下賜した。その時、祇園女御は法皇の子を宿してあり、それが清盛だという説がある。

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平忠盛」カテゴリの記事

コメント

怪談みたいな話ですね。

京都にはこんな話がいっぱいあるのでしょうか。
そして、清盛が生まれたのなら、又、話は面白くなりますね。続きはないのですか。

源平ブログへの訪問ありがとう。コメントへの返事は、「多太神社」に書いておきました。

ラメールさん、またお世話になります。
この続きはもう少し書きます。
お付き合いください!

何だか昔の紙芝居の現代版・・・みたいです。(笑)
さて、この続きは又明日・・・って言って面白い所で終わるのです。
(^ラ^)さん 覚えがありませんか?

私は毎日、10円持って裏のお寺の境内に紙芝居が来るのが楽しみでした。

(^し^)さん こんなコメントでごめんなさい。

やっちゃんさん、コメントありがとうございます。
小学生の頃、紙芝居を毎日書いてクラスのみんなに披露していました。その名残があるのかもしれません。(笑)

私はこの時代あたりが一番不得意です。
祇園女御のこともよく知らなかったのですが。
「祇園女御」著:瀬戸内晴美の存在を知って図書館で探したら、やっぱりなかったです(さすがK川)。
というわけで続き、楽しみにしてますv

今みたいに、DNA鑑定が出来たら面白いでしょうね。
清盛が白川法王の子であったか、忠盛の子であったか、明確になりますね(笑)

そうそう、ついでに秀吉の子ども「秀頼」の鑑定もして欲しいですね。
いったいあれは、誰の子どもだったのでしょう?

くみさん、訪問ありがとうございます。
私はこの時代のところを行ったり来たり
しています。なかなか出られません。
(笑)
この時代の女性の生き方にも興味があります。

merryさん、コメントありがとうございます。
鑑定したら、この二人以外の人物かもしれませんよ。そういたら歴史が覆りますね。

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