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2006年6月27日 (火)

平重衡の南都焼き討ち(2)

南都焼き討ち後、1181年、清盛は亡くなり、平家は都落ちをする。
1184年、一の谷の合戦で、重衡は捕らえられ、鎌倉に送られた。重衡の潔い態度に、頼朝は一武将としての敬意を表し、客人のように扱ったという。しかし、南都からの再三にわたる重衡の引渡し要求に応じることとなった。


重衡が捕らえられた場所は神戸・須磨寺近くに
重衡捕われの松の跡として残っています。
この史跡に関しては過去の記事2005年10月31日「平重衡捕われの松」http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2005/10/index.html をご覧下さい。

最期は、1185年木津川のほとりで首を刎ねられ、奈良の般若寺の門前に梟首された。
この場所からは、東大寺が見えるという。

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