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2006年6月 6日 (火)

八坂神社 忠盛灯籠(3)

この話の舞台となった場所は、祇園の八坂神社の境内に忠盛灯籠として残っている。
(ここは、以前は一条天皇の中宮彰子の火葬地であった。)
忠盛はこれをきっかけに出世を重ね、武士で始めて殿上人となる。
一方、祇園女御の屋敷は円山公園の音楽堂の西側あたりであった。( 祇園女御とは、祇園に豪華な邸を与えられて住んだことからそう呼ばれた。)
清盛出生については諸説あり、清盛の母が祇園女御だという説は「平家物語」に、同じ御落胤説でも清盛の母が、祇園女御の妹という説は近江の胡宮神社の古文書に書かれているという。祇園女御の妹説では、この妹は清盛を産んでしばらくして亡くなってしまい、姉の女御が清盛を引き取って育てた。やがて清盛は正式に忠盛の嫡男となったという。C_25

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平忠盛」カテゴリの記事

コメント

結局、清盛は誰が生んだ子供かわからないのですね。
祇園にいた女性は、上流階級との付き合いができてシンデレラ物語が生まれるのですね。
灯篭にその名残があるのならまんざら嘘でもない話でしょう。

「祇園」という地名は、そんな昔からあるのですね。
やっぱり京都は歴史がありますねぇ。

ラメールさん、訪問ありがとうございます。この時代の女性は姉妹であっても同じ男性と関係を持つことは珍しくないことだったそうですから、この話も真実かもしれませんね。

merryさん、訪問ありがとうございます。
「祇園」ていう響きがいいと思いませんか?
私は京都の街の中で、祇園界隈が大好きです。歩くだけでも京都らしさが味わえますから。

初めまして。歴史すき女性の日本ブログ村を見まして。訪問させていただきました。
 平家物語は私の大好きな古典文学です。
 忠盛というと、「伊勢平氏はすがめなり」とからかわれた事や、忠盛の女房の和歌、「雲居より ただもり来る 月なれば おぼろげには 言わじとぞおもう」などが記憶に残っています。
 たまに訪問させていただきます。宜しくお願いします。

Minoruさま、訪問&コメントありがとうございました。

「平家物語」は、「源氏物語」よりも好きな古典文学です。
昨日、岡山の美術館で、平家物語絵巻を見て来ました。
私もいくつかのお気に入りの場面があります。

伊勢の方面は、まだ行っていないところがあり、また機会を作って取材に行きたいと思っています。

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