« 興福寺(3)北円堂 | トップページ | 平重衡の南都焼き討ち(2) »

2006年6月26日 (月)

平重衡の南都焼き討ち(1)

南都が反平家勢力の拠点であったこと、奈良の僧兵が以仁王の謀反に手を貸していたという背景があり、1180年12月、清盛が五男の重衡に南都攻略を命じた。
夜戦のため、民家に火を放ったところ、風に煽られて火が興福寺に燃え移り、東大寺まで広がったという。そして庶民が逃げこんだ大仏殿もが
炎に包まれてしまった。

FC2ブログランキング参加中!

投票にご協力お願いします⇒FC2 Blog Ranking

« 興福寺(3)北円堂 | トップページ | 平重衡の南都焼き討ち(2) »

平重衡」カテゴリの記事

コメント

本をよく読まれて書くことに慣れていらっしゃいますね
いつも思うのですが文章がお上手で感心しています
こちらの記事のコメントでないのですが(ごめんなさい)
先ほど神戸「多聞寺」が目に留まりました
ラメールさんのブログを覗いてみます

これからも時々、見せてもらいますね

kimiさん、訪問とコメントありがとうございます。
私の周りの友達には寺院好きも、源平に興味を抱いている人がなかなか見つからないので、kimiさんのような方と知り合えて大変嬉しく思います。これもラメールさんのおかげですね。「多聞寺」のこともラメールさんに教えていただきました。

お褒めのお言葉をいただき嬉しく思いますが、文章を書くのは苦手です。なるべく写真でごまかしているのですよ!(苦笑)

歴史に疎いのでいつもなんのコメントもできないのですが、いつも読ませてもらってますよ~!勉強させてもらってます。

ドラマのせいか平重盛はとても好印象なので、南都焼き討ちのイメージと会わなかったのですが、なるほど仕方のないことだったのですね。

pochiさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

読んでくださるだけでも大歓迎です!
重衡について調べてみたのですが、
人柄が良い、好印象、堂々とした武将・・・という言葉が印象に残りました。
南部焼き討ちについては、極悪人のように捉えられてる節もありますが、燃え移った炎が原因であるなら、彼もまた戦の巻き添えの一人なのかもしれません。

南都焼き討ち2にコメント、書き込みできませんよ。

重衡、なつかしい名前ですね。
昨年は、よく聞いた平家の話、久しぶりに聞きました。私のブログも中断していますのでそろそろ再開しなければと思っています。

26日の記事にコメントつけられないです~

須磨寺駅付近に碑と祠・・・次回須磨寺にいったときに探しますね

ラメールさん、kimiさん、また教えていただいてありがとうございます。
今チェックしてみます。

平家に関してははラメールさんのブログで勉強させていただきました。また再開してくださいね。

kimiさん、訪問ありがとうございます。

須磨寺駅を出て、すぐのところにありました。すぐ横に喫茶店の看板があります。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 平重衡の南都焼き討ち(1):

« 興福寺(3)北円堂 | トップページ | 平重衡の南都焼き討ち(2) »

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー

無料ブログはココログ