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2006年7月23日 (日)

鶴岡八幡宮(12) 頼朝と義経

1181年7月20日、鶴岡若宮(当時の呼び名)宝殿の上棟式が行われ、大工には褒美として馬が贈られた。そこで頼朝は御家人の中で、義経に馬を引くように命じた。
頼朝の弟としてのプライドがあった義経はそれを辞退するが、頼朝の怒りの前でしぶしぶと義経は馬を引いたのであった。
頼朝は義経を御家人の中の一人とみなし、義経は頼朝を兄と見ていた。ここに二人の考えのすれ違い、後の義経の悲劇の発端が表れている。

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源義経」カテゴリの記事

コメント

このエピソードって史実なんですよね。

二人のこの気持ちのすれ違いが、すべてのはじまりだったのかなぁと思うと…。
二人と仲良くさせようとしてくれる良きアドバイザーみたいな立場の人っていなかったんでしょうね。
(頼朝にはダレもなにも言えないか)

pochiさん、訪問ありがとうございます。

この二人は育った環境も、立場も違い、水と油のような関係だったのではないでしょうか。
父・義朝が常盤にゾッコンで、ろくに頼朝の母のもとに帰って来なかったのをずっと恨みに思っていた。との説もありますがどうでしょう?

この場面は大河にもありましたね。
pochi さんの
<二人のこの気持ちのすれ違いが、すべてのはじまりだったのかな>・・・・説に同感です。

やっちゃんさん、コメントありがとうございます。

ドラマでは、二人の溝をどうにか埋めようと必死に付いて行く義経が健気で可愛そうに思いました。
実際の義経も兄に認められたいが為に、必死に生きた人だと思っています。

今日ちょうど、殿が平泉に到着したころの『義経』を観たのですが、頼朝がまだ見ぬ弟のことを「こちらが嫡流、あちらは庶流」とこだわってる台詞がありました。
対面時には感激にむせび泣く二人ですが、やはりもともと相容れぬものがあったんでしょうね。

やっちゃんさん、ご同感いただいてありがとうございます(^^)

pochiさん、再度コメントありがとうございます。
私もそのセリフ、とても印象に残っています。母親の位によって子供の運命が決まってしまう時代だったのですね。

pochiさん、私は旅行から帰って来て、また勧進帳の場面が見たくなりました。今晩でも見ようかな。

何回もしつこくごめんなさい。

「勧進帳」の回、良かったですよね!
何度も泣きながら殿を打ち据える弁慶…。
じっと耐える殿…。
(Sすぎる?)

義経では、「安宅の関」「屋島」の回、それから壇ノ浦の翌週の回?が好きでした。

pochiさん、いつでも大歓迎ですよ!

今のところ、義経&殿のファンの友達は
pochiさんだけですから。
「勧進帳」の回、何回見たかしら?
セリフも言えそうです。(笑)

「義経」では、それぞれの回にツボがありますね。好きなシーンで考えると、勧進帳の他、大原での義経vs建礼門院も大好きです。

またまたしつこく・・・(笑)

そうそう、それそれ!
壇ノ浦の翌週の、建礼門院さまと真っ白な衣装だっけ?の殿とのシーンって、すっごい印象に残ってます。
殿に憂いがあってすごい良いシーンでしたよね。
まだそのDVD買ってないので、楽しみにしてます。

pochiさん、こんばんは。

「平家最後の秘密」でしたよね。
あの回の殿の美しさは最高だったと思います。あの白の衣装が似合う人は他に浮かびません!
義経と建礼門院とのロマンスの噂も、この回を見るとあったのかな~って思いました。

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