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2006年7月

2006年7月31日 (月)

文覚上人(1)袈裟御前

俗名は遠藤盛遠。
もとは北面の武士であったが、同僚の源渡(みなもとのわたる)の妻・御前に恋してしまう。
袈裟御前に執拗に言い寄る盛遠に困り果てた袈裟はある決心をする。
わざと盛遠に夫を殺すように仕向け、自分が身代わりになったのだった。
そうとは知らぬ盛遠は、切り落とした首を見てみたら、袈裟のものであった。
ショックのあまり、盛遠は袈裟の首を持って鞍馬のあちこちを逃げ回った。
やがて出家し文覚となり、凄まじい荒行を行う。
その後、荒廃していた京都の神護寺を再興しようと後白河法皇に強訴した為、伊豆に配流された。

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2006年7月30日 (日)

寿福寺(3) 実朝の墓

政子の墓の横には、3代将軍・実朝の墓がある。
実朝は、2代将軍・頼家の遺児・公暁に殺された。
まだ28歳、若すぎる死であった。


寿福寺の墓地には、その他、高浜虚子、大佛次郎などの文人の墓もある。C_923c_12

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2006年7月29日 (土)

寿福寺(2)政子の墓

総門をくぐると、石畳の道が続き、中門に着く。その中門から左手の道が裏側の墓地へと続く。そこにはやぐら(岩窟墓)が造られ、政子の墓がある。2c_27

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2006年7月28日 (金)

寿福寺(1) 北条政子が建てた寺

頼朝が亡くなった翌年の1120年、頼朝の菩提を弔うために、政子が建立した寺である。
この地はかつて頼朝の父・義朝の館があったところで、頼朝が鎌倉入りした際、ここに館を建てようとしたが、岡崎義実が義朝の菩提を弔うお堂を建てていたため、やめたといわれている。2c_26 C_91 1c_28

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2006年7月27日 (木)

頼朝の墓(2)

頼朝は、1199年1月13日、53歳で亡くなった。
死因に関しては脳溢血や心臓発作による落馬とも、糖尿病、北条家の陰謀ともいわれている。

頼朝の墓の前にある石碑C_88C_89 C_90

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2006年7月26日 (水)

頼朝の墓(1)

白旗神社の前を通り、急な階段を登ったところに約2mの石塔がある。
これが頼朝の墓である。かつては法華堂(今の白旗神社)に埋葬されていた。

鶴岡八幡宮を参拝した人達が、少し離れた頼朝の墓まで訪れる人が少なくない。C_87 2c_25 1c_27

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2006年7月25日 (火)

白旗神社

この辺りには頼朝の館や持仏堂があったところである。
頼朝の死後、頼朝はここに葬られ、法華堂と呼ばれていたが、明治の神仏分離令により、白旗神社と改められた。3c_11 2c_24 1c_26

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2006年7月24日 (月)

大蔵幕府跡

鶴岡八幡宮の東側に大蔵幕府跡という石碑がある。
ここは以前、頼朝の館でもあり、政庁でもあったが、1219年に焼失してしまった。
以来、再建されず、現在は石碑のみがかつての大蔵幕府の中心を示している。C_86

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2006年7月23日 (日)

鶴岡八幡宮(12) 頼朝と義経

1181年7月20日、鶴岡若宮(当時の呼び名)宝殿の上棟式が行われ、大工には褒美として馬が贈られた。そこで頼朝は御家人の中で、義経に馬を引くように命じた。
頼朝の弟としてのプライドがあった義経はそれを辞退するが、頼朝の怒りの前でしぶしぶと義経は馬を引いたのであった。
頼朝は義経を御家人の中の一人とみなし、義経は頼朝を兄と見ていた。ここに二人の考えのすれ違い、後の義経の悲劇の発端が表れている。

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2006年7月22日 (土)

鶴岡八幡宮(11)静桜

静御前の終焉の地とは、全国に何箇所もあるそうで、静がどこで亡くなったかはっきりしていない。その中のひとつである福島県郡山市が、八幡宮境内に桜の苗木を植樹して、傍らに「静桜・静御前の終焉の地・福島県郡山市」と書かれた碑を建立した。C_84 C_85

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2006年7月21日 (金)

鶴岡八幡宮(10)舞殿

舞殿は、石段の下から本宮を参拝する場で下拝殿とも呼ばれ、毎年4月の鎌倉祭では、静の舞が披露される。

義経と別れ、吉野で捕らえられた静は、鎌倉へ送られてきた。
「日本一の白拍子」としといわれる静の舞をぜひ見たいという頼朝・政子の要望に応え、1186年4月8日、静は義経を想いながら、
「しづやしづしづのおだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな
 吉野山峰(よしのやまみね)の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」
と舞と歌を披露した。
これを見た頼朝はひどく立腹したが、政子のとりなしでどうにかおさまったという。

当時はまだ舞殿がなく、静が舞ったのは若宮の回廊とされている。

*現在、舞殿は修復中で、舞殿の絵のシートが被せられていました。

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2006年7月20日 (木)

鶴岡八幡宮(9)本殿

大石段を上りきると八幡宮の中心となる朱塗りの本殿に辿り着く。
若宮とともに、国の重要文化財に指定されていて、様々な祭事が行われる場でもある。

頼朝がここに社殿を造ったのは1191年、奥州藤原氏を滅ばした後のことであった。

*現在の社殿は、1828年に徳川家斉が再建したものである。

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2006年7月19日 (水)

鶴岡八幡宮(8) 大銀杏

1219年1月27日、三代将軍・源実朝は右大臣拝賀の式の直後、この大銀杏の陰に隠れていた二代将軍・頼家の遺児・公暁によって殺害された。そのことから、この木は隠れ銀杏とも呼ばれている。

公暁・・・父・頼家、母・比企能員の娘の子。頼家が伊豆・修善寺で殺害された後、鶴岡八幡宮別当定暁の下で出家する。後に、鶴岡八幡宮別当に就任。父・頼家の死は、北条義時や実朝の陰謀と信じて、実朝の暗殺に踏み切るが、すぐに討ち取られた2c_23

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2006年7月18日 (火)

鶴岡八幡宮(7) 大石段

この石段を61段登ると本宮。
かつてはここから鎌倉の街を見渡すことができたそうだ。

*現在は、修復中の舞殿に遮られています。

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2006年7月17日 (月)

鶴岡八幡宮(6) 若宮

本殿への石段の脇にある。

本宮の御祭神応神天皇の御子、仁徳天皇ほか三柱の神様が祀られている。
本宮(上宮)に対し、下宮と呼ばれている。
現存する建物としては、本殿や舞殿よりも古い。

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2006年7月16日 (日)

鶴岡八幡宮(5) 源平池

石の太鼓橋を挟んで東の池が源氏池、西の池が平家池という。
政子が源家が栄えることを願いってこの池を造らせた。
源氏池には白い蓮、平家池には赤い蓮を植えさせ、源平の旗の色を表していて、夏には紅白の蓮が見事に咲く。
また、源氏池には産を意味する三つの島、平家池には死を意味する四つの島が配されている。

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源氏池       平家池

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2006年7月15日 (土)

鶴岡八幡宮(4) 白旗神社

頼朝、実朝が祀られていて、必勝や学業成就の信仰を集めている。

黒塗りの社殿は荘厳な感じがします。

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2006年7月14日 (金)

鶴岡八幡宮(3) 政子石

旗揚弁天社の傍らにある夫婦円満祈願の石。
頼朝が政子の安産祈願をしたという。

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2006年7月13日 (木)

鶴岡八幡宮(2) 旗揚弁天社

源平池の東の島にあり、八幡宮創建800年にあたる昭和55年に、文政年間の古図をもとに復元した。頼朝の旗揚げにちなみ、源氏の二引きの旗に願をかける人が多いという。
(八幡宮説案内より)

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2006年7月11日 (火)

鶴岡八幡宮(1) 三の鳥居

1063年、源頼義が前九年の役の戦勝御礼として岩清水八幡宮を勧請し、由比郷に創建したのが始まり。頼朝が1180年に鎌倉入りした際、現在の地に移した。

一の鳥居、二の鳥居そしてこの三の鳥居をくぐり、本宮参道に入る。_c_10 C_78

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2006年7月10日 (月)

段葛

鶴岡八幡宮に続く若宮大路の二の鳥居から三の鳥居まで続く参道。
葛石を敷いて一段高くしたため、段葛と呼ばれている。
1182年、政子が頼家を懐妊していた時、頼朝が政子の安産祈願のため築いた。C_77

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2006年7月 9日 (日)

岩船地蔵堂

鎌倉・扇ヶ谷から亀ヶ谷坂の分岐点に建つ小さなお堂。ここには頼朝の長女・大姫の守り本尊とされる木造地蔵菩薩立像が安置されている。
大姫は許婚の木曽義仲の息子・義高を政略のために殺され、失意のあまり病にかかってしまい、若くしてこの世を去った。
岩船地蔵の名の由来は、地蔵の体内に、船形の光背を備えた石造りの地蔵尊が納められていることによる。C_75 C_76

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2006年7月 8日 (土)

浄光明寺

始まりは、頼朝の発願で文覚上人が不動堂を建てた。そのお堂には、文覚上人が京都から背負ってきたという平家討伐祈願のための不動明王が祭られていた。
1251年に北条時頼と北条長時が再建し、南北朝から室町時代にかけ幕府に保護された。

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2006年7月 7日 (金)

源氏山公園

源氏山は源義家が後三年の役で奥州に向かう際、山頂に源氏の白旗を立てて戦勝祈願した。
頼朝もこれにならい、平家討伐の際、源氏山の山頂で戦勝を祈願したという。
頼朝の鎌倉入り800年を記念して約2mの頼朝像が造られた。

公園の中央には芝生が広がり、家族連れの憩いの場となっています。

源頼朝公銅像碑

この銅像は治承4年(1180年)10月源頼朝公が鎌倉入りして以来八百年目に当る年を記念し よりよい鎌倉づくりに市民が心を通い合わせることを誓い合った証として有志の方々から寄せられた尊い浄財によって建立されたものです
この像が中世日本の政治経済文化の中心として栄えた鎌倉の歴史と郷土鎌倉の象徴として永遠に守り継がれることを願うものです
昭和55年10月
源頼朝公銅像建立実行委員会」


私は紫陽花の咲く季節に行きました。

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2006年7月 6日 (木)

銭洗弁財天宇賀福神社

頼朝が貧困にあえぐ庶民の救済を祈願したところ、頼朝の夢枕に現れた宇賀福神の「この水で神仏を供養すれば天下太平になる」というお告げによりこの神社を建てたという。ここの霊水でお金を洗うと、増えて戻ってくるという信仰が広まった。

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境内には洞窟があり、トンネルをくぐって参拝します。
洞窟内ではザルにお金を入れ、洗う人が絶えません。1c_17 2c_15 4c 3c_7

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2006年7月 5日 (水)

佐助稲荷神社

今日からは鎌倉編に入ります。

佐助稲荷神社は、頼朝が蛭ヶ小島に流された時、平家討伐を勧めたという稲荷を祭る神社。頼朝は、幼少の名前「佐殿」を「助けた」という意味で「佐助」と名付け、ここに社殿を建てたという。
参道沿いに100本以上の赤い鳥居が並んでいる。1c_16 2c_14 3c_2

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2006年7月 4日 (火)

源範頼の生い立ち

源義朝の六男で、頼朝の異母弟、義経の異母兄にあたる。
母は遠江池田宿(静岡県磐田市)の遊女で、遠江蒲御厨(浜松市蒲町)で生まれたことから蒲冠者と呼ばれた。その後、藤原範季に養育され、「範季」から一字取って「範頼」と名乗った。
頼朝の挙兵後は、義経と共に木曽義仲討伐、平家追討のために力を尽くしたが、義経の死後、頼朝に謀反をかけられ、伊豆の修善寺で殺された。

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範頼の関する浜松の史跡は過去の記事、2005年8月6日「源範頼」をご覧下さい。

http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2005/08/index.html

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2006年7月 3日 (月)

源範頼の末裔の屋敷 

浜松市雄踏町に一般公開されている中村家住宅という重要文化財があります。

中村家の初代・中村正範(まさのり)は源範頼の末裔の武士で大和国広瀬郡中村郷に住んだ。1481年に14代正實(まさざね)が今川氏に招かれ、遠国江磐田郡に領地を賜り、1483年に宇布見に屋敷を構えた。
1574年には徳川家康の側室・お万の方が家康の第二子である於義丸(後の結城秀康)を当屋敷で出産し、その時の胞衣塚が庭にある。
以降、中村家は今切軍船兵糧奉行や代官を勤めてきた。
31代幸八は昭和24年から衆議院議員として長く政界で活躍した。

(中村家パンフレット参照)

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                               胞衣塚 2c_19 2c_20 C_32 1c_15

              

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2006年7月 2日 (日)

東大寺(5) 浮見堂

雨の中、大仏殿から浮見堂まで足を延ばしてみました。
浮見堂は、
奈良公園南にある鷺池に浮かぶ六角堂で、休憩所として利用されています。
訪れたのは4月の桜の真っ盛り。桜が浮見堂の美しさをより一層引き立てていました。
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2006年7月 1日 (土)

東大寺(4)大仏殿内部

大仏殿の中に入り、大仏の写真を撮ってみたのですが、どれも真っ黒になってしまい失敗。その他の写真もやっぱり暗いですね・・・

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