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2006年7月 4日 (火)

源範頼の生い立ち

源義朝の六男で、頼朝の異母弟、義経の異母兄にあたる。
母は遠江池田宿(静岡県磐田市)の遊女で、遠江蒲御厨(浜松市蒲町)で生まれたことから蒲冠者と呼ばれた。その後、藤原範季に養育され、「範季」から一字取って「範頼」と名乗った。
頼朝の挙兵後は、義経と共に木曽義仲討伐、平家追討のために力を尽くしたが、義経の死後、頼朝に謀反をかけられ、伊豆の修善寺で殺された。

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範頼の関する浜松の史跡は過去の記事、2005年8月6日「源範頼」をご覧下さい。

http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2005/08/index.html

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コメント

範頼は、義経派だったのですね。

頼朝は、身内を多く殺しているのですね。
身内には、人望がなかったと言うことですか。

ココログの送信に時間がかかりますが
そんなことないですか。

投稿: ラメール | 2006年7月 4日 (火) 00時46分

ラメールさん、おはようございます。

範頼は温厚な性格で、梶原景時が頼朝に義経のことを讒言した時も、義経をかばっていたそうです。
頼朝は、自分の地位を脅かす人は、兄弟でも殺していったということでしょうね。

ココログはこのところ、記事の投稿にも、コメント送信にも時間がかかります。
深夜12時前後にそうなりませんか?

投稿: しずか | 2006年7月 4日 (火) 08時16分

平家は身内を大事にしすぎて滅び、
源氏は身内を大事にしなかったために滅んだ。
なんだかそんな感じしません?

身内であっても身内でなくても
なんの争いもない世の中にしていきたいです。
(それが殿の望む新しき国ですよね?!)

投稿: pochi | 2006年7月 6日 (木) 21時21分

pochiさん、ナイスコメント!
まさにその通りですね。
殿の望む「新しき国」は幻なのでしょうか。
時代が変わっても争いは形を変えて消えませんね。みんなが同じ気持ちにならない限りは無理でしょう。

投稿: しずか | 2006年7月 6日 (木) 22時16分

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