妙本寺(2)比企一族の墓
妙本寺の境内には比企一族の墓と一幡の袖塚がある。
一幡・・・頼家の嫡男で、母は若狭局(比企能員の娘)
北条時政は、娘・政子と組み、頼家を亡き者にし、千幡(後の実朝)を次期将軍に立てようと画策。
1203年、頼家が病気になると、時政は一幡に関東二十八区に地頭職と日本国総守備職を、実朝には関西三十八国地頭職を相続させた。
これに不満を抱いた比企能員は、頼家と組み、北条氏を打倒することを決意。
しかし、このことが時政の耳に入り、時政は能員を自宅に招き、殺害。
続いて北条氏は比企谷の比企一族の屋敷を襲撃。一族は一幡を守ろうと防戦したが、屋敷に火が放たれ、母とともに焼死した。後で焼け跡から一幡の袖が見つかったという。一幡はその時、わずか6歳であった。
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「比企氏」カテゴリの記事
- 妙本寺(2)比企一族の墓(2006.08.11)
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頼朝があり比企一族がありで、鎌倉は色んな人の墓があるのですね。
鎌倉時代の中心であったことがわかります。
先日の戦火の件、説明を読みました。
大きな戦いや震災にあっているのですね。
投稿: ラメール | 2006年8月11日 (金) 01時56分
お墓、拡大してみました
歴史上の人物の墓を訪ねると、
その人がこの世に存在した事実を確かめられますね
投稿: kimi | 2006年8月11日 (金) 05時21分
ラメールさん、kimiさん、コメントありがとうございます。
私が訪れたのはほんの一部ですが、鎌倉には
幕府を支えた重要人物の墓がたくさんあります。
現存している寺院も戦火や震災を通り抜けてきたことがわかりますね。
投稿: しずか | 2006年8月11日 (金) 08時11分