文覚上人(2)頼朝の挙兵
伊豆に流された文覚上人は、そこで頼朝に出会い、挙兵を勧める。
挙兵を渋る頼朝に、文覚は頼朝の父・義朝のものだと言って、しゃれこうべを差し出した。
しかし、それは獄舎の前に落ちていたのを拾ったものだった。(後に文覚は本物の義朝の骨を頼朝に届けたという)
文覚の気迫に後押しされ、1180年、頼朝は挙兵し、1182年、文覚に命じ、江ノ島に弁才天を建てさせた。
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こんばんは。文覚上人のこの話はおもしろいですね。
『平家物語』によると後白河法皇の院宣が頼朝に挙兵を決意させたということだそうですが、この文覚上人の話の方がより劇的ですよね。
頼朝の配流地である伊豆韮山の「蛭が小島」に行ったことがありますが、まわりはすっかり陸地になっていて当時をしのぶものは全くありませんでした。
投稿: PIROSHI | 2006年8月 3日 (木) 22時18分
PIROSHIさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
頼朝がいつ挙兵の意思を固めたのかも
諸説ありますが、私はこの文覚の説が有力だと思っています。
以仁王の令旨が届く前に、決意をしていたのではと。
私も昨年、蛭ヶ小島に行きました。
本当に陸地になっていますね。
ここにある夫婦の像が見たくて、三嶋大社に行った後、足を延ばしました。
過去の記事の4月23日に載せてあります。
またお時間のある時にご覧ください。
投稿: しずか | 2006年8月 3日 (木) 22時56分