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2006年8月

2006年8月31日 (木)

長谷寺(3)

経蔵(輪蔵)の内部は回転式の書架となっていて、一回転させると一切経を読破するのと同じ功徳があるという。
実際やってみましたが結構、力が要ります。Hasedera14c

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2006年8月30日 (水)

長谷寺(2)

私が訪れたのはアジサイが咲き誇る6月。
大勢の人たちが、アジサイの写真を撮りに来ていました。
斜面に咲くアジサイと竹林のコントラストが素敵ですね。Hasedera25c Hasedera24cHasedera17c Hasedera22c

アジサイ散歩コースをぐるっと、まわって写真を撮ってきました。



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2006年8月29日 (火)

長谷寺(1)

高徳院と並び、長谷を代表する寺院。
阿弥陀堂祀られている阿弥陀如来坐像は、頼朝の42歳の厄除けに建立された。
それに因んで「厄除阿弥陀」とも呼ばれている。

高台の見晴台からは由比ガ浜や逗子の海を眺めることができます。Hasedera1c Hasedera9c Hasedera10c

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2006年8月28日 (月)

成就院(2)

弘法大師ゆかりの地に建つ真言宗の寺院。
北条泰時が一族の繁栄を願い、1219年に創建した。
本尊に安置される不動明王は縁結びのご利益があるという。
新田義貞の鎌倉攻めで焼け落ちてしまったが、江戸時代に再建された。
紫陽花だけでなく、境内の像も楽しめます。

弘法大師修行像 不動明王像12c 11c_4 7c_3 Ajisai7c_1

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2006年8月27日 (日)

成就院(1)伝文覚上人荒行像

紫陽花の咲く6月に訪れた鎌倉。
紫陽花で有名な鎌倉・成就院へ出かけた。
境内の紫陽花を写していると、ふと一つの像に目が止まった。
伝文覚上人荒行像」・・・平安時代、文覚上人が自ら彫ったという木像。この木像は「日本のロダン」と称される彫刻家・萩原守衛の作品「文覚」の製作に多大な影響を与えたという。
3c_14 9c_1 8c_1 Ajisai5c_1

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2006年8月26日 (土)

宝戒寺(2)

秋になると白萩が美しく咲くことから「萩寺」とも呼ばれています。
境内には他にも枝垂れ梅、椿、桜、白彼岸花など、特に白い花が綺麗に咲くといわれています。これは源氏の旗色が白いことに関係してるようです。C_111 C_112

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2006年8月25日 (金)

宝戒寺(1)

北条泰時がこの辺りに小町邸を建てて以来、北条一族が住んだ。
1333年、新田義貞による鎌倉攻めで、北条高時が東勝寺(現在、宝戒寺の南東に東勝寺跡がある)に火を放ち、870余名の北条一族が自害して果てた。
1335年、後醍醐天皇が北条一族を弔うために足利尊氏に命じ、この北条氏の邸跡に宝戒寺を建立させた。
本堂には国の重要文化財に指定さfれている本尊の木造地蔵菩薩像が安置されている。C_110

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2006年8月24日 (木)

土佐坊昌俊邸跡

小町大路沿いに土佐坊昌俊邸跡の石碑が建っている。

頼朝から京都・堀川にいる義経を討つことを命じられた昌俊は、出発前に頼朝に面会し、自分にもしものことがあったら、下野に残してきた年老いた母と子供たちに情けをかけて欲しいといったと伝えられている。
結局、義経暗殺は失敗に終わり、捕らえられた昌俊は六条河原で処刑された。

しかし、これには異説もあり、以前、義経の父・義朝に仕えていた昌俊を、義経は殺すことができず逃がしたという。
今となってはどちらが真実か闇の中である。C_109

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土佐坊昌俊については過去の記事2006年3月8日「左女牛井之跡」もご覧下さい。

http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2006/03/index.html

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2006年8月23日 (水)

鎌倉幕府の変遷

鎌倉には3つの幕府跡が残されており、今回はそのうち2つを訪れた。

各幕府の存続期間と開設・移設者は次の通りである。

大蔵幕府       1180年~1225年 源頼朝 (大蔵幕府跡は7月24日の記事に掲載してあります) http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2006/07/index.html

宇都宮辻子幕府  1225年~1236年 北条泰時・時房

若宮大路幕府    1236年~1333年 北条泰時

頼朝の死後、源氏は衰退し、わすか3代でその幕を閉じた。
その後、実権を握ったのは、頼朝の妻・北条政子と政子の弟・北条泰時であった。
その後、北条氏の時代は16代にわたって続いた。

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2006年8月22日 (火)

若宮大路幕府跡

北条政子の死後、1225年、泰時が幕府を宇都宮辻子幕府に移し、大蔵幕府を廃止した。
その後11年で若宮大路に戻し、1333年、新田義貞に滅ぼされるまでこの地で、北条氏による執権政治が行われた。また、親王屋敷とも呼ばれ、4代藤原頼経から9代守邦親王まで存続した。C_108現在、この 石碑は鶴岡八幡宮南側の住宅地の間にひっそりと立っている。

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2006年8月21日 (月)

妙隆寺(4)寿老人

本堂の前には、杖を持ち、お使いの鹿を伴った寿老人が祀られていて、健康と長寿の神様として親しまれている。

境内には様々な花木が植えられ、夏には芙蓉が花を咲かせる。C_107

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2006年8月20日 (日)

妙隆寺(3)日親上人の弾圧

1439年、京都に上った日親は、足利6代将軍義政の悪政を諫めようとしたが、それに激怒した義政は、日親を投獄し、頭に灼熱の鍋をかぶせ、舌端を切り、言葉を遮った。
しかし、これにも日親は屈することはなかったという。
そのことから「鍋かぶりの寺」とも呼ばれている。

日親の像C_104

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2006年8月19日 (土)

妙隆寺(2)日親上人の修行

1427年、当山に来た日親上人が、その忍力を試すために、寒中百日間、水行したという池、剥いだ爪から流れる血で描いたという日親の親筆曼荼羅がある。C_105

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2006年8月18日 (金)

妙隆寺(1)頼朝の御家人ゆかりの寺

頼朝の御家人・千葉常胤(つねたね)の屋敷があったところに、子孫の胤貞(たねさだ)が1385年、日英上人を迎えて建立した。C_103 C_106 別名「千葉屋敷」とも呼ばれている。

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2006年8月17日 (木)

大巧寺(2)

室町時代、住職が難産で亡くなった女性の霊を産女霊神としてまつったことにより、安産の神様「おんめ様」と親しまれている。

こじんまりとしたお寺ですが、四季折々の花が咲き、目を楽しませてくれます。

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2006年8月16日 (水)

大巧寺(1)

元は朝比奈峠方面の十二所にあり、大行寺といったが、頼朝がここで戦略を練って戦功をあげたため、「大巧寺」と名が改められた。

鎌倉駅から若宮大路に出てすぐのところにある。C_102

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2006年8月15日 (火)

本覚寺(3)

夷堂は商売繁盛と縁結びの神様の恵比寿神をを祀り、眼病にもご利益があるとされている。また、鎌倉後期の名刀鍛冶として知られる岡崎五郎正宗の供養塔や記念碑もある。
境内には花も多く、夏にはハスやサルスベリ、テッポウユリ、ホテアオイなどの花を楽しめる。1c_37下は境内のハス2c_31 の写真です。

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2006年8月14日 (月)

本覚寺(2)

ここも日蓮ゆかりの寺院である。
配流先から戻った日蓮上人は再びこの寺で布教を始めた

日蓮の遺骨を身延山から分骨したことから、東身延とも呼ばれている。C_100 C_101

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2006年8月13日 (日)

本覚寺(1)

鎌倉の裏鬼門にあたり、頼朝が守り神として建てたという夷堂の旧跡に、1436年に日出上人が創建した。
八角形の形をした夷堂は、1981年の再建のもので、商売繁盛を願う人達が参拝に訪れている。

夷堂1c_36

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2006年8月12日 (土)

妙本寺(3)日蓮ゆかりの寺

比企一族が滅ぼされた後、比企能員の子・比企能本が鎌倉で布教する日蓮上人に帰依し、日蓮と一族のためにとお堂を建てた。
霊宝殿には日蓮ゆかりの寺宝が、霊宝塔には日蓮の御真骨が納められ、祖師堂には日蓮が安置されている。

境内には四季折々の花が咲き、夏にはノウゼンカズラの花やサルスベリの花を楽しめます。

祖師堂     境内にある日蓮像3_c_2 4c_3 ノウゼンカズラの花C_99 

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2006年8月11日 (金)

妙本寺(2)比企一族の墓

妙本寺の境内には比企一族の墓と一幡の袖塚がある。

一幡
・・・頼家の嫡男で、母は若狭局(比企能員の娘)
北条時政は、娘・政子と組み、頼家を亡き者にし、千幡(後の実朝)を次期将軍に立てようと画策。
1203年、頼家が病気になると、時政は一幡に関東二十八区に地頭職と日本国総守備職を、実朝には関西三十八国地頭職を相続させた。 
これに不満を抱いた比企能員は、頼家と組み、北条氏を打倒することを決意。
しかし、このことが時政の耳に入り、時政は能員を自宅に招き、殺害。
続いて北条氏は比企谷の比企一族の屋敷を襲撃。一族は一幡を守ろうと防戦したが、屋敷に火が放たれ、母とともに焼死した。後で焼け跡から一幡の袖が見つかったという。一幡はその時、わずか6歳であった。
2c_301c_35 
 

  

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2006年8月10日 (木)

妙本寺(1)比企一族ゆかりの寺

この辺りは比企が谷といい、鎌倉時代には比企一族が住んでいた。
しかし、比企一族は、1203年、北条氏に滅ぼされてしまう。
唯一、京都にいて難を逃れた比企能員(よしかず)の子・能本(よしもと)が一族の菩提を弔うために、1260年、妙本寺を建立した。

 総門      二天門1c_34 5_c_2     

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2006年8月 9日 (水)

日蓮上人辻説法跡

小町大路沿いに「日蓮上人辻説法跡」という石碑がある。
当時、この辺りは武家屋敷と商家町との境であり、日蓮は道行く人に法華経を説いた。
石を投げられたこともあったが、それに屈することなく、熱心に布教を続けた。

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2006年8月 8日 (火)

常栄寺(2)日蓮とぼたもち寺

日蓮上人が、龍の口法難(幕府を非難したとして龍の口刑場での斬首の法難を受けた)の折、刑場に送られていく日蓮に、この地に住んでいた桟敷尼がぼたもちを捧げた。
すると、仏の加護により、奇跡が起こり、処刑を免れた。
ぼたもちを差し出したこの場所に、1606年、日詔上人が常栄寺を創建。
以来、ぼたもち寺とも呼ばれている。

門の扉には、橘の家紋、柱上部には源氏の家紋「笹竜胆」が見える。1c_31 3_c_1

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2006年8月 7日 (月)

常栄寺(1) 頼朝と常栄寺

かつてこの寺の裏山に、頼朝が由比ガ浜の千羽鶴の放鳥を遠望するために、桟敷を設けていたという。2_c_5

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2006年8月 6日 (日)

安養院

安養院は北条政子ゆかりの寺。
1225年、政子が頼朝を弔うために建立した長楽寺が前身である。
火災による焼失を繰り返し、現在の地に落ち着いた。
境内には樹齢700年の槙の木がある。

「安養院」という名は、政子の法名です。C_96 C_97 C_98

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2006年8月 5日 (土)

源氏と鎌倉を結びつけた源頼義

平忠常の乱(1028~1031)を鎮圧し、平直方に見込まれ、娘婿となる。鎌倉の直方の屋敷を譲り受け、源氏と鎌倉を結びつけることなった。二人の間に生まれたのが八幡太郎義家である。
前九年の勝利の礼として、源氏の氏神である岩清水八幡宮を勧請し、由比若宮(元八幡)を創建するに至った。(義経伝説紀行参照)

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2006年8月 4日 (金)

祝・一周年!

今日、8月4日で「しずかblog」一周年を迎えることになりました。
まずはいつもブログを訪問してくださる皆さんに感謝したいと思います。
初めはブログってどんなものだろう?という興味本位で書き始めたのがきっかけでした。
そのうち、義経を追う旅もだんだんと遠くまで行くようになり、今では旅行=史跡めぐりになっています。このブログに載せている写真は、すべて自分で撮ったものです。
ゆえに、たまにピンボケ、手ぶれなど見にくいものもあります。

今後、どこまで続けられるかわかりませんが、今後も応援よろしくお願いします。

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元八幡

1063年、頼朝の祖先・源頼義が京都の岩清水八幡宮を勧請し、由比若宮を造営した。
1180年、鎌倉入りをした頼朝がこの社を現在の鶴岡八幡宮の地へ移して新しい都づくりの拠点とした。
ここは、遷営以前は源氏の氏神であり、以来、元八幡と呼ばれるようになった。

石碑には「元鶴岡八幡宮」という文字が見える。1c_30 4c_1

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2006年8月 3日 (木)

勝長寿院跡

頼朝が父・義朝の菩提を弔うために1185年に勝長寿院を建てた。
義朝と鎌田正清の首が埋められたと伝えられている。
当時は、本堂、五仏堂、三重塔などを備えた大寺院であったが、今は住宅地に石碑が残るのみである。1c_29 C_95 2c_28

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2006年8月 2日 (水)

文覚上人(3)文覚上人屋敷跡

その他、文覚は、平維盛の嫡男・六代の命乞いをするなど、隠れたところで活躍をした。
文覚の屋敷跡の石碑が、金沢街道から大御堂橋を渡ったところにある。大蔵幕府跡からも近く、いかに文覚が幕府に対して権限を持っていたかを知り得ることができる。C_94

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2006年8月 1日 (火)

文覚上人(2)頼朝の挙兵

伊豆に流された文覚上人は、そこで頼朝に出会い、挙兵を勧める。
挙兵を渋る頼朝に、文覚は頼朝の父・義朝のものだと言って、しゃれこうべを差し出した。
しかし、それは獄舎の前に落ちていたのを拾ったものだった。(後に文覚は本物の義朝の骨を頼朝に届けたという)
文覚の気迫に後押しされ、1180年、頼朝は挙兵し、1182年、文覚に命じ、江ノ島に弁才天を建てさせた。
Enoshima5c Enoshima6c

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