北陸の旅(2)実盛の首洗池
赤地の錦の直垂に、萌黄縅の鎧を着た一騎の武者に手塚太郎光盛が「なのらせ給え」と声をかけたが名乗ろうとしない。ついには光盛がその武者の首を討ち取り、首を義仲に見せた。義仲は直感で実盛だと思い、実盛と親しかった樋口次郎兼光に確かめさせた。
実盛は日頃から「年老いていると侮られないように戦に赴く時は髪を黒く染めていこう。」と兼光に話していたという。
その首を目の前の池で洗ってみると黒髪は白髪となって現れた。
実盛の首を洗ったという「首洗池」が篠原古戦場の中にあります。
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よく<首洗い池>と言うのがありますね。
討ち取ったのが本当なのか首実験が必要だったのですね・・・
投稿: やっちゃん | 2006年9月18日 (月) 11時13分
やっちゃんさん、おはようございます。
「首洗い」と名が付いただけで不気味なものに思えます。池もよどんでいるような・・・
当時「首実験」が不可欠なものであったことは確かですね。
投稿: しずか | 2006年9月18日 (月) 11時52分
実盛という人は本当に気丈な方だったんですね。
池は当時から変わらないような佇まいですね。
投稿: ヤス | 2006年9月18日 (月) 18時04分
しずか さん
こんばんは!
当時は、首実検といっても、もう腐敗してしまって、あんまりよくわからなかった!なんていう説もありますよね。
確かに技術もドライアイスも、交通手段もないだけに、大変だったんでしょうね。
投稿: 「感動創造」 | 2006年9月18日 (月) 20時59分
ヤスさん、こんばんは!
実盛の戦に向かう心構え、立派としか言いようがありません。
この池はすべてを映していたのでしょうか。
投稿: しずか | 2006年9月18日 (月) 21時12分
感動創造さん、こんばんは!
首実検について
義経の場合も腐っていたので
身代わりだったかもしれない
という説もありますね。
投稿: しずか | 2006年9月18日 (月) 21時16分
首実検てする方も苦しくて悲しいことですね。
今では考えられないことだし、
昔ならではの工夫をしても腐敗して本当かどうか見分けがつかない。
そこからいろんな伝説も生まれていったんですね。
投稿: pochi | 2006年9月18日 (月) 21時27分
pochiさん、こんばんは!
そうですね~。
首実検をやる方も切ないですよね。
「首実験」という言葉だけでもゾっとします。
投稿: しずか | 2006年9月18日 (月) 22時37分