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2006年9月21日 (木)

北陸の旅(5)実盛塚

首洗池から1kmほどのところに実盛の墓と伝えられる「実盛塚」がある。

1414年、時宗の14世紀遊行上人が篠原古戦場近くの道場で布教している時、実盛の亡霊に会い、卒塔婆を書いて霊を慰めたという。これが世阿弥の謡曲「実盛」のモチーフになりました。(「義経伝説 南加賀の旅」より)

生垣に囲まれた立派な黒松は、最期まで立派に武士として戦った実盛を表すようである。
与謝野晶子が、ここで

「北海が盛りたる砂に あらずして 木曽の冠者が きづきたる塚」

という歌を詠んでいます。

*実盛塚の前では毎年8月20日からの片山津温泉湯祭りの際、供養際をし、地元の女子中学生が白装束で「篠原慕情」を踊るそうです。C_126 1c_46 6c_8

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斉藤実盛」カテゴリの記事

コメント

これはまた長い歳月を感じさせる立派な松の木ですねぇ!

与謝野晶子の歌は無念さを伝えてますね。

黒松の下に石碑があったのですね。
これは、きずきませんでした。

TBさせてもらいましたよ。

やっちゃんさん、こんばんは!

ここへ実際行ってみたらあまりの松の
立派さに驚きました。

ヤスさん、こんばんは!

さすが与謝野晶子の歌ですね。
物語を知った上で、この歌を読むと切なさが増します。

ラメールさん、TBありがとうございました。

石碑はタクシーの運転手さんに教えて
いただきました。
自分だけでは見落としていましたよ。

殿との一夜はいかがでしたか。

後ろ髪引かれる思いで帰ってこられたのでしょう。
早速、ブログへのコメント返し、忙しいですね。
ゆっくり休んでください。

ハハハ!
ラメールさん、ありがとうございます。
今晩は殿との思い出を胸に、良い夢を見ますよ!

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