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2006年9月

2006年9月30日 (土)

北陸の旅(14)勧進帳の物語

頼朝に追われる立場となった義経は、かつて世話になった奥州・平泉の藤原氏を頼ろうと旅立つが、これを捕らえようと頼朝は各地に関所を設けた。
1187年、山伏姿に変装した義経主従一行は安宅の関に到着。怪しいと感じた安宅の関守・富樫康家は東大寺復興勧進のため諸国を廻っているという弁慶に勧進帳を読ませる。何も書かれていない勧進帳を弁慶は見事に読み通した。しかし再び義経本人に疑いがかかると、すかさず弁慶は金剛杖で義経を何度も打ち据えた。
富樫は義経一行と気付いていながらも、弁慶の忠誠心に心を打たれ、関所を通したのであった。

この話は歌舞伎「勧進帳」、能「安宅」として演じられています。

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2006年9月29日 (金)

北陸の旅(13)安宅の関 弁慶・富樫・義経像

北陸の旅のメインである「安宅の関」にやって来ました。

銅像の説明によると、弁慶・富樫の銅像は、歌舞伎役者の七代目・松本幸四郎、二代目・市川左団次をモデルとし、昭和41年に彫刻家・都賀田勇馬氏により、義経像はその子息である都賀田伯馬氏によって製作されました。三体の銅像が親子二代に亘って完成されたわけです。

義経         弁慶        富樫2c_39 2c_40 2c_41

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2006年9月28日 (木)

北陸の旅(12)尼御前岬

奥州を目指す義経一行に中にいた尼が安宅の関の取調べの厳しさを聞き、足手まといになることを憂い、主君の安泰を願って、岬から身を投げたという悲話が伝えられています。

北陸自動車道尼御前SAからは遊歩道が整備され、岬には尼御前の像があります。

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2006年9月27日 (水)

北陸の旅(11)多太神社 本殿

多太神社は6世紀初め、武烈天皇の5年に男大跡(オオトノ)王子(後の継体天皇)の勧請による古社である。平安時代初期には延喜式(平安時代中期に編纂された格式)に記載されている式内社である。延喜式神名帳に記載のある神社を式内社と言い、社格の一つとされ、当時、朝廷から重要視された神社であった。
1008年には船津松ヶ中原にあった八幡宮を合祀して多太八幡宮と呼ばれるようになった。
加賀藩三代藩主・前田利常が社地を寄進。歴代の加賀藩主が崇敬し、神領や社宝を奉納したという。

(多太神社由緒、ウィキペディア参照)

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2006年9月26日 (火)

北陸の旅(10)多太神社 芭蕉の像

元禄2年(1689年)の秋、芭蕉翁一行は奥の細道で小松を訪れ、多太神社に立ち寄りました。数日後、小松を出発して山中温泉に向かう途中、再びここを訪れ、次の句を残しました。

あなむざん 甲の下のきりぎりす (芭蕉)

幾秋か 甲にきへぬ 髪の霜(曽根)

くずさりの うち珍しや 秋の風(北枝)

多太神社の境内には芭蕉の句碑の他に芭蕉像もあります。

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2006年9月25日 (月)

北陸の旅(9)多太神社 芭蕉の句碑

実盛の首だと確認した樋口次郎は、「あなむざんやな 斉藤別当で候ひけり」と涙を流した。
実盛の死後、500年経ってから、芭蕉がここを訪れ、

むざんやな 甲の下の きりぎりす

と句を詠んだ。

この句は当初
「あなむざんやな」から始まっていたのですが、後に芭蕉が調子を整えるために「あな」省いたそうです。

あな・・・「ああ」 強い感動を表す語。  

また、芭蕉は実盛の兜を見て、

目庇(まびさし)より吹返しまで、菊のから草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり

と賛美したという。

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2006年9月24日 (日)

北陸の旅(8)多太神社 実盛の兜

多太神社には、義仲が奉納した実盛の兜、大袖、臑当が宝物館に収蔵されています。
実盛の兜の重さは4.4kgとかなり重いことから実戦用ではなく、大将の印に陣屋に飾るものであったのではないかとされています。
普段は宝物館の見学は予約が必要ですが、7月下旬の「かぶと祭り」では一般公開しているそうです。

実盛の兜・・・義仲が願状を添えて奉納したと伝えられている。
        高さ15.2cm、鉢廻り71.2cm、総体廻り139.4cm、重さ4.4kg
*下の写真はNHKBSの番組で実盛の兜が紹介された時のものです。06091014dvc00104

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2006年9月23日 (土)

北陸の旅(7)多太神社と謡曲「実盛」

謡曲「実盛」は世阿弥の修羅物で、実盛の霊が200余年経っても浮かび切れず、遊行上人の説法を聴聞し、念仏往生を頼んで消え去ったという伝説と篠原の戦いを脚色してあります。謡曲の中で実盛は、最後は大将の義仲と戦うつもりだったのに、家来の手塚太郎に討たれてしまったことが悔しいと語ります。

JR小松駅から徒歩20分ほどのところある多太神社には手に鏡を持ち、白髪を染める実盛の像があります。1c_48 C_128


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2006年9月22日 (金)

北陸の旅(6)実盛と虫送り

実盛は稲の切り株につまずいたために手塚太郎光盛に討たれたとされています。
その怨みから実盛の怨霊が稲の害虫となったということから、稲の虫除けと豊作を祈願する伝統行事が行われています。虫を捕らえ、田んぼをを通って村の外に送り出すというこの行事は、実盛の死後、何年かの間、凶作が続き、義仲が実盛の供養と豊作を兼ねて虫送りを始めたことが起源となっています。

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2006年9月21日 (木)

北陸の旅(5)実盛塚

首洗池から1kmほどのところに実盛の墓と伝えられる「実盛塚」がある。

1414年、時宗の14世紀遊行上人が篠原古戦場近くの道場で布教している時、実盛の亡霊に会い、卒塔婆を書いて霊を慰めたという。これが世阿弥の謡曲「実盛」のモチーフになりました。(「義経伝説 南加賀の旅」より)

生垣に囲まれた立派な黒松は、最期まで立派に武士として戦った実盛を表すようである。
与謝野晶子が、ここで

「北海が盛りたる砂に あらずして 木曽の冠者が きづきたる塚」

という歌を詠んでいます。

*実盛塚の前では毎年8月20日からの片山津温泉湯祭りの際、供養際をし、地元の女子中学生が白装束で「篠原慕情」を踊るそうです。C_126 1c_46 6c_8

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2006年9月20日 (水)

北陸の旅(4)実盛の最期の装い

実盛は、もしも自分が討ち死にした場合、粗末な衣装を着ていたのでは恥ずかしいから「錦の直垂」を着たいと平宗盛に申し出たが、はじめは許してもらえなかった。
だが、出陣する際、哀れに思った宗盛が自分の衣装を実盛に与え、実盛は錦の直垂を見にまとい、義仲軍との戦に赴いたという。

錦の直垂は大将軍の装いであった。
「故郷へは錦を着て帰れ」(故郷に錦を飾る)は、史記・項羽本記によるものである。

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2006年9月19日 (火)

北陸の旅(3)木曽義仲、主従の像

実盛とわかった兼光は「あなむざんや」と言った。
実盛はこの時、前の主君である源義朝に拝領した兜を付け、現主君である平宗盛に許された出で立ちだったという。
実盛は源為義、源義朝に仕え、後に平維盛に仕えた武将である。

その昔、義仲が幼い頃、父である義賢を義経の父・義朝の長男・義平に殺され、義仲は母とともに畠山重能にとらわれました。そのことを不憫に思った重能は、実盛に助けを求めます。
実盛は義仲らの安全を図るたため、木曽の中原兼遠のもとに義仲親子を預けました。
義仲は、幼い頃、自分の命を助け、育ててくれた実盛の首を抱き、涙を流した。

首洗池の前には実盛の首を抱き嘆く義仲、兜の前にひざまずく樋口次郎兼光、がっくりとうな垂れる手塚太郎光盛の像があります。

木曽義仲    樋口兼光    手塚光盛3c_19 4c_4 5c_3

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2006年9月18日 (月)

北陸の旅(2)首実盛の洗池

赤地の錦の直垂に、萌黄縅の鎧を着た一騎の武者に手塚太郎光盛が「なのらせ給え」と声をかけたが名乗ろうとしない。ついには光盛がその武者の首を討ち取り、首を義仲に見せた。義仲は直感で実盛だと思い、実盛と親しかった樋口次郎兼光に確かめさせた。
実盛は日頃から「年老いていると侮られないように戦に赴く時は髪を黒く染めていこう。」と兼光に話していたという。
その首を目の前の池で洗ってみると黒髪は白髪となって現れた。

実盛の首を洗ったという「首洗池」が篠原古戦場の中にあります。1c_45

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2006年9月17日 (日)

北陸の旅(1)篠原古戦場

1183年、倶利伽羅峠の戦いで、平家軍を破った木曽義仲(源義仲)に対し、平家軍はここ篠原に陣を取り、義仲軍と戦った。しかし、義仲軍の前に平家軍は苦戦し、京に逃げ帰る兵まで出てきた。そんな中、斉藤別当実盛だけがこの地に残った。
実盛は73歳、髪は白髪。老武将と侮られないように、白髪を黒く染め、義仲軍に立ち向かっていった。(続)

*篠原古戦場はJR小松駅から車で10分くらいのところにあります。1c_44

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2006年9月16日 (土)

藤沢を訪ねて(12)荘厳寺 義経公の御位牌

荘厳寺に祀られている義経公の御位牌は、1832年に宥全和尚によって作られたもので、それ以前にもあったそうです。
木製漆塗りの御位牌の表には、
白旗大明神裏には

清和天皇十代御末 源義経公 御誕生 平治元年乙卯歳
文治五年乙卯歳閏四月三十日卒 御歳三十七崇
白旗大明神 天保三辰歳 法印 宥全調之


と書かれている。


位牌の表    位牌の裏2c_38 3_c_3

*御位牌は、荘厳寺のご住職のご厚意で見せていただきました。
写真の無断掲載はお断り致します。

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2006年9月15日 (金)

藤沢を訪ねて(11)荘厳寺

義経公首洗井戸から歩いて数分のところに荘厳寺というお寺があります。

荘厳寺は、1184年に覚憲和尚により創建され、一時荒廃してしまったが、1235年に覚盛上人により再興された。その後、火災により1747年、白旗神社隣に移転し、白幡神社の別当寺となったが、明治に入り神仏分離令により分けられ、現在の地に移った。

こちらには義経公のご位牌が祀られています。2c_36

 

 

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2006年9月14日 (木)

藤沢を訪ねて(10)義経首塚

以前は首洗井戸近くの民家の辺りに義経公の首塚があったとされています。
今は首洗井戸の横に首塚があり、石碑には

武蔵坊弁慶之霊
九郎判官源義経公之首塚
亀井坊 伊勢坊
片岡坊 駿河坊
 各霊

と刻まれています。1c_43 2c_35 3c_18

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2006年9月13日 (水)

藤沢を訪ねて(9) 義経首洗井戸

白旗交差点近くのマンションの前に「伝源義経首洗井戸」の立て札があります。この立て札と交番の間の道を入ったところに小さな公園があり、その一角に「義経首洗井戸」がありました。井戸の脇には「九郎尊神」という文字が刻まれています。
腰越の浦で首実験された義経の首は浜に捨てられましたが、その首は金色の亀の背に乗って境川を上り、藤沢の里人によってこの井戸で清められ、葬られたと伝えられています。  C_124 C_125                                 4c_5

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2006年9月12日 (火)

藤沢を訪ねて(8)白旗神社 例大祭

毎年7月に行われる白旗神社の例大祭は藤沢の夏祭りを代表するもので、250年の歴史があるという。ハイライトの神幸祭には義経・弁慶の御輿が登場し、御輿と観客が一体となり、祭りを盛り上げるそうだ。この祭りの様子を聞くだけでも、義経と弁慶がこの藤沢の町にどれだけ根付いているかがわかる。
今まで各地を回って来たが、こういう祭りにはなかなか遭遇できない。
いつか見てみたい祭りのひとつである。

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2006年9月11日 (月)

藤沢を訪ねて(7)白旗神社 弁慶松・弁慶力石

白旗神社には他にも「弁慶」と名のつくものがある。
「弁慶松」と「弁慶力石」だ。
弁慶というと力持ちのイメージがあるせいか、弁慶~と名のものからはどれも力強さを感じる。

弁慶松     弁慶力石C_121 C_122

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2006年9月10日 (日)

藤沢を訪ねて(6)白旗神社 義経藤と弁慶藤

白旗神社には「義経藤」と「弁慶藤」の2種の藤が植えられています。
紫の弁慶藤は薙刀の象徴、白の義経藤は源氏の白旗の象徴といわれています。
弁慶藤の前には

草臥て 宿から比や 藤の花

という芭蕉の句碑がありました。

義経藤      弁慶藤C_119 C_120

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2006年9月 9日 (土)

藤沢を訪ねて(5)白旗神社 本殿

現在の本殿は、文政11年6月~天保6年12月にわたって造営され、昭和54年6月に改修工事が行われました。(白旗神社HPより)
本殿にかけられた白い布には、源氏の家紋である「笹竜胆」が見えます。
1c_42 3c_17

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2006年9月 8日 (金)

藤沢を訪ねて(4)白旗神社 義経公鎮霊碑

1189年4月30日、奥州で藤原泰衡に襲撃され自害した義経公の御骸は宮城県栗原郡栗駒町に葬られた。一方、御首は6月13日、腰越の浦の首実験後、捨てられたが、白旗神社の近くに流れ着き、藤沢の里人により葬られたという。

平成11年6月13日、義経没後810年を記念し、御骸と御首の霊を合わせ祀り、義経公鎮霊碑を建立した。(白旗神社の説明版より)

義経公鎮霊碑   義経松(石には義経松とありますが、松の木はありません)C_116C_117

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2006年9月 7日 (木)

藤沢を訪ねて(3)白旗神社の由緒

古くは寒川神社とよばれていた。

吾妻鏡によると、義経の首は奥州から鎌倉へ送られ、腰越において和田義盛、梶原景時らによって首実験が行われた。
伝承では同時に弁慶の首も送られ、首実験がなされ、夜の間に二つの首がこの神社に飛んできたという。
このことを頼朝に伝えると、白旗明神としてこの神社に祀るようにとのことで、義経公を御祭神として後に白旗神社とよばれるようになった。
一方、弁慶の首は八王子社として祀られた。C_113

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2006年9月 6日 (水)

藤沢を訪ねて(2)常光寺

常光寺の境内のカヤの巨木は藤沢の天然記念物に指定され、推定樹齢は300年という。
(写真を撮り忘れてしまいました)
またこちらには詩人・野口米次郎(ヨネ・ノグチ)の墓や作曲家徳山環の墓碑がある。
幸福、財宝、長寿の神である福禄寿を祀り、藤沢七福神めぐりのコースになっている。3c_16

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2006年9月 5日 (火)

藤沢を訪ねて(1)常光寺・弁慶塚

今日から藤沢編に入ります。
藤沢本町駅から歩いて10分ほどのところの常光寺というお寺の裏山に、弁慶を供養したという「弁慶塚」が庚申塔とともにあります。
弁慶塚と書かれているようですが、石の表面が削られていてはっきり見えませんでした。
画像で確認できるでしょうか。
なぜここに弁慶が祭られたのか?
ここには以前、八王子権現社という白旗神社(義経を祭る)の末社がここにあったことから、弁慶塚が残されているようです。1c_39 1c_402c_34 

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2006年9月 4日 (月)

明月院(2)

明月院は、約3000株のアジサイが咲き誇ることから「あじさい寺」として知られ、アジサイの時期には、境内に入るのに長蛇の列ができるほどの人気です。
総門から中門へ続く石段の両側に咲く青や紫のヒメアジサイが、訪れる人の目を楽しませてくれます。1c_38 2c_32 6c_7 4_c

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2006年9月 3日 (日)

明月院(1)

明月院は、源義朝と平清盛の争い・平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の供養のため、子の太夫山ノ内経俊が1160年、明月院の前身として創建しました。
その後、北条時頼がこの地に最明寺を建立。
時頼の死後、時宗が最明寺を前身に禅興寺を創建。
1380年、上杉憲方が禅興寺の中に塔頭明月院を建て、明月庵は明月院となりましたが、明治に入り、禅興寺は廃寺になり、明月院のみが残りました。2_c_6 3c_15

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2006年9月 2日 (土)

長谷寺(4)

長谷寺は736年の創建と伝わる鎌倉でも有数の古刹。
観音堂に安置されている長谷観音は9mもの大きさで右手に錫杖を持つ独特な姿をしていいる。

境内にはアジサイの他にもハナショウブ、キキョウ、ボタン、ツツジなど花の種類が多く、一年通して花を楽しむことができる。Hasedera2c Hasedera3c Hasedera5c Hasedera11c

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