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2006年10月11日 (水)

北陸の旅(25)如意の渡像

「義経記」によると、文治3年(1187年)奥州に向かう義経一行が、如意の渡で六渡寺へ進もうとしたところ、渡守の平権守が義経を指して、「判官殿ではないか」と怪しんだ。
とっさに弁慶は「あれが加賀白山から連れて来た御坊で、判官と思われるのは心外だ。」と疑念を晴らすため、扇で義経を打ちのめした。渡守は「そんなに打たなくても判官殿でないとわかればいい。」と同情し、一行はめでたく如意の渡を渡った。

これはまさに安宅の関の話と似ていますよね。
どちらが本当か・・・実際、安宅の関がある小松市と如意の渡のある高岡市で論争が起こったそうですが、今では観光資源として活用できればということで落ち着いたようです。

富山県高岡市伏木の渡船場の近くには弁慶が扇を振り上げ、義経を打つ像があります。5c_4 3_c_4

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源義経」カテゴリの記事

コメント

高岡市と論争が起きたのは(^し^)さんから聞いて初めて知りましたが、<観光資源として活用>・・・良いアイディアですね!
(そもそもどっちが正しいかと問題にする事 自体が何だか子供じみているね?)

私は義経のUPは撮らなかったのでこうしてみると色んな想いが伝わってきます。

やっちゃんさん、こんばんは!

私は両市が観光資源として活用するなら、
両方の史跡を廻る人を増やすために、
「安宅の関&如意の渡し」スタンプラリーなんかをやってみたら良いと思います。

この像、良いですね!

なんだかとてもドラマチックな像で、写真を見るだけで胸がいっぱいになります…。

そのスタンプラリー、乗った!
ぜひ参加したいですね~。

pochiさん、訪問ありがとうございます。

この像、とても気に入ってしまい、
しばらくずっとこの場にいました。
失敗してはいけないと思い、何枚も写真撮りましたよ。(笑)

スタンプラリーの企画があったら
また廻ってみたいです!

安宅の関~謝罪地~如意の渡しと続き本当はどうだったのだろうと想像しますがいまとなっては真相は分かりませんね。
論争は、痛み分けで引き分けですか。

平家打倒で有名な断崖を駆け下りた神戸の一の谷合戦地も2ヶ所あってどちらが本当か論争をしたようです。鵯越え説が有力で須磨一の谷説はちょっと歩が悪いようですが、両者ゆずらずです。

ラメールさん、コメントありがとうございます。
そうですね。
今となっては真相はわかりませんから、どちらの説も応援したい気がします。

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