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2006年11月19日 (日)

厳島神社(10)後白河法皇御行幸松

本殿の裏側に、後白河法皇が1174年に厳島神社を参拝した際にお手植えされた松があります。近くに寄って見てみましたが、年月を感じさせる老木でした。

神社の入り口に由緒が書かれた板が掲げられていて、その中に「御幸」として後白河法皇、高倉天皇の名前があります。

後白河法皇・・・鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、激しい継承争いの中、幸運にも即位。二条天皇に譲位した後、院政を開始。以後30年以上、朝廷政治の中心にいた。
平家と源氏、双方の力を上手く利用しながら、朝廷の力を維持したある意味したたかな人であった。C_177C_178 C_185

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後白河天皇」カテゴリの記事

コメント

本当に凄いですね!中は勿論「がらんどう」

手で押したらガラガラっと崩れてきそうです。
管理も大変でしょうね。

やっちゃんさん、コメントありがとうございます。

本当、触ったら崩れてしまいそう!
近くで眺めるだけにした方が良いでしょうね。

しずか さん

こんばんは!

これはバッチリ見てきましたよ!

すごい年季を感じましたね~!

オーラがありました。

明日から京都ですか!

いいですね~!

混んでいるかもしれませんが
楽しんできてくださいね!

感動さん、こんばんは!

京都は今が一番混んでいそうですね。
バスよりも地下鉄を利用して移動する予定です。

800年以上前の松ですが、保存しているだけでも凄いですね。
後白河法皇のような方が続いたら歴史も変わったかもしれないですね。

ヤスさん、こんばんんは!
今、京都にいます。

後白河法皇は、時代を上手く駆け抜けた
人といえますね。
800年前の松は、法皇をどのように見ていたのでしょう。

後白河法皇と言えば、昨年の義経で平幹二郎が演じていたのを思い出します。
義経と頼朝の間に位置して形勢のいいほうに味方したしたたかな生き方を思い出します。

平清盛全盛の頃に宮島に来て、この松を植えたのでしょうね。

ラメールさん、こんばんは!

ラメールさんからこの史跡の話を
教えていただいて良かったです。
社殿の裏側にあるから、知らないと
見逃してしまいますね。

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