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2006年11月

2006年11月29日 (水)

厳島神社(14)五重塔

和と唐の様式をミックスした三間(さんげん)五重塔は、1407年の創建と伝えられています。高さ27.6m、檜皮葺で、中心柱が二層で止まっているという独創的な構造をしています。
近くで見上げるのも良いですが、ちょっと離れて厳島神社の社殿の合間から見るにも素敵です。1c_64 9_1c 16_2c

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2006年11月27日 (月)

厳島神社(13)清盛神社

厳島神社の西側に続く西松原を歩いていくと清盛を祭神とする小さな神社に行き着きます。ここまで来ると、ほとんど観光客の姿は見当たりません。

清盛神社は、清盛の威徳を顕彰するために、昭和29年、摂社の三翁神社から分祀して創建されました。(三翁神社は清盛が近江より山王権現を勧請し、明治維新までは山王社と呼ばれていたと伝えられています。)C_182 C_183

 

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2006年11月25日 (土)

厳島神社(12) 宝物館

宝物館の館内には、平家一門がその繁栄を祈って奉納した平家納経をはじめ、厳島神社所蔵の宝物など美術工芸品の一部が展示されています。
この建物は、昭和9年に耐火性を考えて鉄筋コンクリートで造られ、当時としては画期的なものだったそうです。(宮島パンフレットより)

残念ながら私が行った次の週から、実物の平家納経の展示が見られたのですが、この日はレプリカでした。C_181

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2006年11月23日 (木)

厳島神社(11)平重盛公お手植えの松

本殿の裏には、後白河法皇お手植えの松の他に、平重盛お手植えの松もあります。

平重盛・・・清盛の嫡男で宗盛、知盛の異母弟。
小松第に住んでいたため、小松殿と呼ばれていた。
保元・平治の乱では父に従い、清盛が福原に隠棲してから、
平家一門の頭梁として活躍した。清盛が息子達の中で最も信頼していたのだが、病のため早世した。C_179 C_180

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2006年11月19日 (日)

厳島神社(10)後白河法皇御行幸松

本殿の裏側に、後白河法皇が1174年に厳島神社を参拝した際にお手植えされた松があります。近くに寄って見てみましたが、年月を感じさせる老木でした。

神社の入り口に由緒が書かれた板が掲げられていて、その中に「御幸」として後白河法皇、高倉天皇の名前があります。

後白河法皇・・・鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、激しい継承争いの中、幸運にも即位。二条天皇に譲位した後、院政を開始。以後30年以上、朝廷政治の中心にいた。
平家と源氏、双方の力を上手く利用しながら、朝廷の力を維持したある意味したたかな人であった。C_177C_178 C_185

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2006年11月17日 (金)

厳島神社(9)康頼灯籠

その後、康頼と成経は都へ返されることが許された。
この理由として、「平家物語」では清盛の娘の徳子(建礼門院)の懐妊に伴う大赦をあげている。徳子は着帯後、物の怪に悩まされ、その霊祓いの意味もこめて大赦を行ったようである。


厳島神社にある「康頼灯籠」は、康頼が都へ帰った際、感謝の想いをこめて寄進したものとされている。C_176

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2006年11月15日 (水)

厳島神社(8)平康頼と卒塔婆石

1177年の平家打倒を企てた鹿ヶ谷の陰謀で、平康頼、俊寛、藤原成経(成親の子)は鬼界ヶ島(硫黄島)に流罪となった。
康頼と成経は信仰心が厚く、熊野三山を信仰していたので、鬼界ヶ島でも似ている地形に本宮、新宮、那智と名付け、熊野三所権現を祀った。
康頼は、都の母を恋しく思い、千本の卒塔婆石を書き、海に流すと、そのうちの一本が厳島神社の池の石に流れ着き、たまたま康頼の知り合いの僧侶が拾った。
その卒塔婆には

薩摩かた 沖の小島に我ありと 親には告げよ 八重の潮風

と書かれていた。
その後、康頼と成経は都へ帰ることを許された。
(「平家物語を歩く」参照)1c_63 2c_52

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2006年11月13日 (月)

厳島神社(7)鏡の池

潮が引いた時に現れる丸い池が宮島八景の一つ「鏡の池」で、社殿東回廊から見えます。
私が到着した時、ちょうど干潮だったので運良く見ることができました。
なるほど、池の形が女性の手鏡のように見えますね。C_175

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2006年11月11日 (土)

厳島神社(6) 蘭陵王の舞

今回この舞楽の中で最も楽しみにしていたのが、この蘭陵王の舞です。

蘭陵王は中国北斎の皇族で、将軍。実の名を高長恭(こうちょうきょう)といい、実在した人物です。
あまりにも美しく優しい顔立ちをしていたので、戦に赴く時は恐ろしい面をつけて素顔を隠していたといわれています。

幾多の戦いにより、名声を上げましたが、それがきっかけで後主から忌避されるようになります。粛清されることを恐れ、わざと戦利品を貪り、評判を落としたり、戦場に立って功績を立てることを恐れ、病にかかっても治療しませんでした。
しかし、結局は573年、後主を毒物を賜り、自殺してしまいます。(Wikipedia参照)

美しい顔立ち、悲劇的な一生は義経に重なるところがありますね。


蘭陵王が厳島神社で舞う姿は、「義経」のタイトルバックにも流れていました。4c_7 19c_1

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2006年11月 9日 (木)

厳島神社(5) 舞楽

厳島神社の舞楽は、清盛が1146年、安芸守時代に、平家の守護神として厳島神社を信仰して社殿を改築し、京都文化の舞楽を大阪の四天王寺から厳島に移して、楽所を設けたのが始まりだという。

この日は厳島神社の菊花祭にあたり、夕方から高舞台で舞楽が舞われました。7c_4 27c47c 19c_3

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2006年11月 7日 (火)

厳島神社(4) 高舞台

華麗な舞楽が奉納される高舞台。
大鳥居を正面に望み、平舞台の上に一段高く設けられています。
大河ドラマ「義経」のタイトルバックにも登場しました。
現在のものは1546年の造営です。1c_62

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2006年11月 5日 (日)

厳島神社(3) 社殿

厳島神社の社殿の創建は、推古元年(593)佐伯鞍職によるものと伝えられ、その後、1168年に平清盛によって造営されました。本社を中心に、客神社、門客神社、大国神社、天神社が配置され、朝座屋、高舞台、楽房、能舞台などがその間に設けられています。また、内侍橋、長橋、反橋などが架けられ、建造物は約300mにおよぶ回廊でつながれています。平安時代の貴族の寝殿造りが取り入れられていて、屋根は一般の神社とは違い、桧皮葺に瓦を積んであります。2c_53 5c_9 19c_2

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2006年11月 3日 (金)

厳島神社(2) 大鳥居

厳島神社のシンボルとなっている海にそびえ立つ大鳥居。
満潮時には海中に浮かんだように見え、潮が引くと砂浜に立ち、昼と夜とでは違った表情を見せてくれます。
現在の鳥居は平安時代から8代目にあたり、明治8年に完成したものです。
主柱には、楠が使われ、総高16mの高さを誇ります。 3c_22 23_c 6c_10

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2006年11月 1日 (水)

厳島神社(1) 神の島

10月中旬、昔から「神の島」として崇められてきた宮島へ行って来ました。

厳島神社は1996年、世界遺産に登録されました。
登録された区域は、社殿を中心とする厳島神社と、全面の海および背後にそびえる弥山の原始林を含む森林。
弥山の緑と海に浮かぶような社殿の朱色が美しいコントラストを成し、人々を魅了しています。

宮島口から汽船でわずか10分で宮島へ到着。
桟橋を渡り、海沿いの道を厳島神社に向かって歩いていくと、日本三景の碑が見えてきます。Jr1c C_173 C_174

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お知らせ

11月より、ブログランキング参加を休止し、しばらくマイペースで更新していくことにしました。
今まで投票にご協力してくださった皆さん、ありがとうございました。
なお、「功名が辻 山内一豊・千代 ゆかりの地を訪ねて」ブログは引き続きランキングに参加していきますので、こちらの方の投票にはご協力ください。
今後も当ブログのご愛顧よろしくお願いします。

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