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大原・勝林院前の律川畔に熊谷直実腰掛石と鉈捨藪碑の史跡があります。源平合戦後、法然に帰依した蓮生(直実)は師匠が問答に負けたら鉈で相手を討とうとしましたが、法然に諭されて藪の中に鉈を捨てたと言われてします。
投稿者 しずか 時刻 00時00分 熊谷直実 | 固定リンク | Tweet
TBありがとうございました。
直実は、心のやさしい人だったようですね。
敦盛を討ち取ろうとせず、味方が来たのでやむなく首をはねた。 後に戦のむごさに心をいため出家した。
投稿: ラメール | 2007年2月16日 (金) 01時44分
ラメールさん、さっそくコメントをありがとうございます。
私もそう思いました。 直実は戦いの後、いたたまれなくなって出家したのですね。 戦はいつも悲劇を生むのですね。
投稿: しずか | 2007年2月16日 (金) 01時55分
しずかさん、お久しぶりです。 熊谷直実って『熊谷陣屋』の熊谷ですよね? 敦盛の身替りに自分の息子の首を取ったと言うストーリーに衝撃を受けましたわ。 大原に縁の地があったんですね。
投稿: lovespoon | 2007年2月16日 (金) 05時23分
lovespoonさん、訪問ありがとうございます。
「熊谷陣屋」では元々のストーリーと大きく変わっていますね。元は、熊谷直実が、須磨の浦で平敦盛と一騎討ちとなり、熊谷は自分の息子の小次郎と同じ年である敦盛の首を打ったことに無常を感じ、後に出家たという筋です。 一昨年は須磨へ行って敦盛の史跡を廻ってきました。 大原に直実縁の地があったのは最近知りました。
投稿: しずか | 2007年2月16日 (金) 08時51分
おはようございます。
いつも感じるのですが、しずかさんは場所場所の言い伝えとか、逸話をよくご存知ですよね。やっぱり勉強されているんでしょうね。
自分が知らないことが多く、いつも勉強になります!
投稿: 「感動創造」 | 2007年2月17日 (土) 07時55分
感動さん、いつもありがとうございます。
どこかに行く時は事前にできるだけ 本を読んで下調べはして行きます。 時間がない時は帰って来てから調べる こともありますが。 家には本が溢れていて、寝る場所がなくなりそうです。(笑)
投稿: しずか | 2007年2月17日 (土) 11時29分
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コメント
TBありがとうございました。
直実は、心のやさしい人だったようですね。
敦盛を討ち取ろうとせず、味方が来たのでやむなく首をはねた。
後に戦のむごさに心をいため出家した。
投稿: ラメール | 2007年2月16日 (金) 01時44分
ラメールさん、さっそくコメントをありがとうございます。
私もそう思いました。
直実は戦いの後、いたたまれなくなって出家したのですね。
戦はいつも悲劇を生むのですね。
投稿: しずか | 2007年2月16日 (金) 01時55分
しずかさん、お久しぶりです。
熊谷直実って『熊谷陣屋』の熊谷ですよね?
敦盛の身替りに自分の息子の首を取ったと言うストーリーに衝撃を受けましたわ。
大原に縁の地があったんですね。
投稿: lovespoon | 2007年2月16日 (金) 05時23分
lovespoonさん、訪問ありがとうございます。
「熊谷陣屋」では元々のストーリーと大きく変わっていますね。元は、熊谷直実が、須磨の浦で平敦盛と一騎討ちとなり、熊谷は自分の息子の小次郎と同じ年である敦盛の首を打ったことに無常を感じ、後に出家たという筋です。
一昨年は須磨へ行って敦盛の史跡を廻ってきました。
大原に直実縁の地があったのは最近知りました。
投稿: しずか | 2007年2月16日 (金) 08時51分
おはようございます。
いつも感じるのですが、しずかさんは場所場所の言い伝えとか、逸話をよくご存知ですよね。やっぱり勉強されているんでしょうね。
自分が知らないことが多く、いつも勉強になります!
投稿: 「感動創造」 | 2007年2月17日 (土) 07時55分
感動さん、いつもありがとうございます。
どこかに行く時は事前にできるだけ
本を読んで下調べはして行きます。
時間がない時は帰って来てから調べる
こともありますが。
家には本が溢れていて、寝る場所がなくなりそうです。(笑)
投稿: しずか | 2007年2月17日 (土) 11時29分