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2007年3月

2007年3月29日 (木)

常盤井と衣掛塚

弁慶腰掛石からすぐのところに、常盤御前が衣をかけたという衣掛塚と、常盤が飲料水として使っていたとされる井戸・常盤井があります。

衣掛塚は残念ながら史跡らしさのかけらもありません。
常盤井は、常盤が化粧に用いたとも言われ、常盤化粧井とも呼ばれていたそうです。
ここも今は水が枯れてしまい、井戸の形のみ残っていますが、「常盤井」という文字は確認できました。

衣掛塚      常盤井1c_73 1c_74 2c_59

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2007年3月25日 (日)

弁慶腰掛石

京都・大徳寺の南側にある長谷川米穀店の庭に、弁慶が腰掛けたという大きな石があります。地上に出ている部分はその一部で、地中に埋まっている部分を含めると高さ1m、幅2mの巨石なのだそうです。
この石には、弁慶が座って刀を奪おうと待ち伏せしていた時に牛若丸を出会ったという伝説が残されています。
(源平史跡177選参照)

お店のご厚意で、わざわざお庭まで案内していただきました。
長谷川米穀店さま、ありがとうございました。C_195

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2007年3月17日 (土)

大原(12) 寂光院と平家物語 

後白河法皇が大原へ建礼門院を訪ねる場面が描かれているのが、平家物語の「大原御幸」の章です。法皇は、建礼門院を気遣い、ごく少数のお供を連れて、お忍びで会いに来ました。平家一門を破滅に追いやった黒幕である法皇と対面した建礼門院の心情はいかなるものだったのでしょう。

寂光院には
汀の池(みぎわのいけ)、千年姫子松、汀の桜、諸行無常の鐘楼など平家物語ゆかりの遺跡がいくつかあります。
汀の池は、法皇が建礼門院を見舞った際に詠んだ歌にちなんでいます。


池水に みぎわの桜 散りしきて
 なみの花こそさかりなりけれ7_c_2 6_c 8_c_1 11_c

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2007年3月12日 (月)

大原(11)寂光院 本堂と雪見灯籠

本堂は平成12年に火災により消失、その後復元されました。
現在の本堂は、内陣および柱は飛鳥様式、藤原様式および平家物語当時の様式で、外陣は桃山様式のものを古式通りに忠実に復元されました。
本堂手前にある南蛮鉄の雪見灯籠は豊臣秀吉び寄進で桃山城から移したものです。
(寂光院HP参照) 12_c_2 6_2c_1

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2007年3月 9日 (金)

大原(10)寂光院と建礼門院 

建礼門院が平家滅亡後、平家一門と安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で暮らした。
寂光院には建礼門院が隠棲した庵室跡があります。
(庵室跡へは入れないので写真はありません)

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2007年3月 3日 (土)

大原(9)沙羅双樹の木

大原で見つけた沙羅双樹の木。

沙羅双樹といえば「平家物語」の冒頭を思い浮かべますね。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

沙羅双樹は釈迦が入滅する時、床の四方にそれぞれ二本ずつ計八本の沙羅の木があり、東西の二双がそれぞれ一樹となり、釈迦の体を覆って白色に変化したという。
沙羅はインドに産する木の名で、梵語で高遠という意味がある。

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