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2007年4月22日 (日)

平重衡塚

醍醐寺から歩いて住宅地の道を歩いていくと、団地のそばの公園の片隅に平重衡の墓がポツンとあります。

この地(日野)は重衡の北ノ方大納言佐局が平家没落後、身を寄せていた。
一ノ谷の合戦で捕らえられた重衡は鎌倉から奈良へ引き渡されたが、途中ここに立ち寄り北ノ方との別れを惜しんだ。
南部焼き討ちの罪を問われ、木津河原で斬首された後、日野で荼毘に付されたといわれている。(説明版参照)2c_60

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平重衡」カテゴリの記事

コメント

しずかさん

おはようございます。

なるほど・・・

どうしても歴史って勝者側の部分がクローズアップされてしまうので、敗者側のその後とかって、本当に興味をもって接していないと、深くは理解できないですね。


その心中を察すると、いかばかりだったのでしょうね。

感動さん、おはようございます。

大河でも妻・輔子との別れの場面が
印象的でした。
死ぬ前に会えたことは二人にとっては
良かったのでしょうが。

そうそう私も覚えています、別れのシーン・・
髪を切って渡しましたね。

その場所がここだったのですか。

しずかさん、こんにちは!
重衡と言うと確か・・・義経で悲劇的な別れのシーンがあった人物ですよね。。。
それがこの場所だったんですね。。。
どんな想いで、この地へとやって来たんでしょうか。。。
今の情景を見ると、何とも不思議な思いを感じます。

ところでこの度、ブログを移転致しました!
もしよろしければ、しずかさんのコチラのブログとリンクさせて頂ければ有難いのですが、いかがでしょうか??

今後とも、どうぞ宜しくお願いします☆

merryさん、コメントありがとうございます。

髪を歯で食いちぎり、形見として
渡す場面、泣かされました~!
二人とも熱演でしたね~。

りっきーさん、こんばんは!

私がお墓の写真を撮っていた時、そばで
子供たちがサッカーしていました。(苦笑)
彼らは何をした人のお墓などとは、まったく
知らないのでしょうね。

ブログ移転さてたのですか。
また後で遊びに行きますね。
リンクはこちらこそよろしくお願いします!!

しずかさん、おはようございます!
リンクの件、ありがとうございました☆
僕の方もリンク設定させて頂きましたので、これからもどうぞ宜しくお願いします♪

かつて京の町を駆け巡っていた人のお墓の近くで、子供達が遊んでいる。
とても微笑ましい光景ですよね☆
古代の歴史と現代がリンクする、貴重なひと時ですよね。

りっきーさん、おはようございます。
またリンクの設定、ありがとうございました!

お墓の中から重衡も平和な日本の
子供たちの姿を見て微笑んでいるかも・・・

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