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2007年5月

2007年5月25日 (金)

崇徳院地蔵(人喰い地蔵)

京みやげの老舗・聖護院八ツ橋の本店近くの積善院内にある崇徳院地蔵は通称・人喰い地蔵とも呼ばれている。

保元の乱に敗れた崇徳上皇は、兄の後白河や清盛によって讃岐に流され、その地で都を呪いながら1164年に亡くなった。
その頃、京では大火や流行り病が続き、清盛も高熱の病で亡くなったため、上皇の祟りと恐れられた。
崇徳の怒りを鎮めようと地蔵尊が造られたが、「崇徳院」がなまっていつしか「人喰い」地蔵とも呼ばれるようになった。Img_0439c Img_0440c

2007年5月18日 (金)

法金剛院

嵐山の帰り、JR花園駅にほど近い法金剛院に寄りました。
ここは平安時代初期の右大臣・清原夏野の山荘を平安末期に待賢門院(鳥羽上皇の中宮、後白河天皇の母)が再興した律宗のお寺です。
「花の寺」と呼ばれるだけあって、桜、ハス、アジサイ、ハナショウブなど四季折々の花を楽しめます。特にハスは有名で、池の中や池の周囲の置かれた鉢植えに様々な種類のハスを見ることができます。
私が訪れた4月は枝垂桜が満開でした。Img_0405c Img_0407c Img_0410c Img_0412c Img_0406c

2007年5月12日 (土)

法輪寺

嵐山の法輪寺は、嵯峨の虚空蔵(こくぞう)さんと呼ばれ七五三参りや針供養で知られています。その本堂奥の山中に小督塔があります。

高倉天皇は建礼門院がいながらも、琴の名手である小督を愛してしまいます。

清盛の怒りを買った小督は嵯峨に身を隠し・・・

能の「小督」では、高倉天皇の側近・源仲国が琴の音を頼りに小督を探しに来て、法輪寺で出会う場面が描かれ、「平家物語」では亀山のあたりから琴の音が聞こえてきたとある。(源平史跡177選参照)

小督の過去の記事についてはこちらImg_0394c Img_0395c Img_0398c

2007年5月 5日 (土)

横笛と入道の悲恋 大堰川(おおいがわ)

春の嵐山へ行って来ました。

嵐山のシンボルである渡月橋がまたがる大堰川(おおいがわ)は、横笛の悲恋の舞台です。
建礼門院の侍女・横笛と平重盛に仕える武士・斉藤時頼は愛し合っていましたが、身分違いということから、時頼の父に反対され、横笛に対する気持ちを断ち切るため、時頼は嵯峨に出家し、滝口入道となります。
嵯峨にまで時頼を追いかけて来た横笛を入道は追い返し、、絶望した横笛は大堰川に身を投げたいう話が伝わっています。

横笛については高野山まで入道を追った後、出家し、奈良の法華寺において生涯を終えたとの話もあります。
これについては過去の記事 滝口入道と横笛をご覧ください。Img_0390c Img_0402c

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